信徒の心得
 
外護の精神
 日蓮大聖人の仏法を護持(ごじ)し正しく伝えていくことは、本宗僧俗の大切な使命です。
 大聖人は『涅槃経(ねはんぎょう)』を引かれ、
 「内(うち)には弟子有って甚深(じんじん)の義を解(さと)り、外には清浄の檀越(だんのつ)有って仏法久住(くじゅう)せん」(曾谷(そや)入道殿許御書 新編七九〇)
と示されています。この内護(ないご)と外護(げご)があって、はじめて正法が正しく厳格に、未来永劫まで護られていくのです。すなわち内護とは、教団の内側から法を護るとの意味で、血脈付法の御法主上人をはじめ、本宗僧侶が正法を誤りなく伝持する令法(りょうぼう)久住の任を担(にな)っていることをいいます。
 それに対し外護とは、外側から正法を護るとの意味で、在家信徒が各々の生活を営(いとな)みながら浄財などをもって正法の興隆に資(し)することをいいます。
 大聖人は、在家信徒の信心のあり方について、
 「在家の御身は、但(ただ)余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力(ずいりき)演説も有るべきか」(松野殿御返事 新編一〇五一)
と仰せられ、一心に唱題行に励み、仏法僧の三宝(さんぼう)への御供養に努め、折伏弘通に精進することが肝要であると教示されています。この外護によって、総本山並びに各々の菩提寺である末寺が護持発展していくのです。
法統相続
 日蓮正宗の信仰を子孫に受け継(つ)がせていくことを法統(ほっとう)相続といいます。
 法統相続は、親として子供に真の幸せを得る道を歩ませ、一家の幸福と繁栄を確立するために大切なことです。日蓮大聖人が説き示された南無妙法蓮華経は、あらゆる財宝や資産よりも勝れた無上宝珠(ほうじゅ)なのですから、親として子供にこの信心を受け継がせていかなければなりません。
 日蓮大聖人は、
 「経王御前を儲(もう)けさせ給ひて侯へば、現世には跡をつぐべき孝子なり。後生には又導かれて仏にならせ給ふべし」(経王御前御書 新編六三五)
と仰せられているように、信仰を受け継ぐ子供は、孝養心のある子として親の追善供養を行い、成仏に導いていく宝となるのです。
 ただし法統相続するためには、何よりもまず、親が強い信心をもって模範となる姿勢を示すことが肝要であり、そこからおのずと子供は信心を学ぶのです。令法久住・広宣流布のためにも法統相続は、決して揺(ゆ)るがせにしてはならないものなのです。
実生活における謗法厳誡
 日蓮正宗においては古来、他宗教は不幸の根源であり、謗法(ほうぼう)であるとして、そこに与同(よどう)することを厳しく誡(いまし)めています。
 しかし、私たちを取り巻く現代社会は謗法が充満しており、たとえ正しい信仰をし、謗法に近づくまいとしても、社会全体が謗法である以上、私たちは謗法にまったく無縁の状態で生活することはできません。
 たとえば、世間の人との付き合いのなかで、神社の祭りやそれにまつわる寄付、葬式や結婚式への参列など、謗法に近づいてしまうことは誰にでもあることです。
 このような場合においても、日蓮正宗の信仰者として謗法厳誡を基本に対処していくことが大事となります。
祭りと寄付
他宗派で行われる葬儀への参加
他宗での儀礼や神社仏閣への参詣
冠婚葬祭など
初参り
七五三祝い
成人式
結婚式
地形式・起工式
上棟式
葬 儀
法 事
塔婆供養
諸祈念願い
 「祈念」とは、一般に祈祷(きとう)・祈願・祈請(きしょう)などともいわれ、神仏に対し心願を込め自他の災(わざわ)いを払い、幸福と利益を祈り求めることをいいます。
 日蓮正宗信徒は、寺院に当病平癒(とうびょうへいゆ)や安産祈願などの諸祈念を願うことができます。寺院へは、本人が参詣して導師の僧侶とともに読経・唱題・祈念することが肝要です。
 日蓮大聖人は、
 「祈りも又是(か)くの如し。よき師とよき檀那(だんな)とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり」(法華初心成仏抄 新編一三一四)
と仰せられ、よき師(僧侶)、よき檀那(信徒)、よき法(南無妙法蓮華経)の三事が相応(そうおう)して、諸願も成就すると説かれています。
 また、祈りの姿勢について、
 「あひかまへて御信心を出(い)だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」(経王殿御返事 新編六人五)
と示され、祈念の成就には強盛(ごうじょう)な信心をもって唱題することの大事を教えられています。
 なお、寺院への諸祈念願いとして、当病平癒祈念・安産祈念・命名祈念・厄払(やくばら)い祈念・進学就職祈念など、その願旨(がんし)も多種多様ですが、要は、正法を信ずる者は、南無妙法蓮華経の御本尊の御威光(ごいこう)倍増と、御本仏大聖人の御加護を祈り、その御利益によって、必ず一切の諸願も成就するとの確信に立つべきなのです。