祭りについて考えるとき、それが宗教的なものかどうかということに注意する必要があります。もし、その祭りが宗教に関係するものであるならば、参加したり神輿(みこし)を担(かつ)いだりすることは謗法となり、正法に敵対する行為になります。 なぜならば神を祭る行為は、知ると知らずとにかかわらず、その神を敬(うやま)い信ずることになり、日蓮正宗の信仰に他の教えを混(まじ)える行為となるからです。 神と一口にいってもその種類は多く、山や岩などの自然神や神話に出てくる神々、また先祖や偉人・英雄を神として祭るなど、さまざまですが、これらの神々はそのほとんどが人々の観念によって作られたもので、神としての真の意義や人々を守る力を持つものではありません。 仏法では、「神」の意義は正法を信ずる者を守護するところにあると説かれ、その神として日天(にってん)・月天(がってん)をはじめ正八幡(しょうはちまん)・天照大神(てんしょうだいじん)などが挙(あ)げられ、これらの神はあくまでも正法守護の諸天善神(しょてんぜんじん)としての役目を担(にな)っていることが明かされています。 しかし、大聖人は『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』に、 「世皆(みな)正に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人(しょうにん)所を辞して還(かえ)らず。是を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる」(新編二三四) と仰せられ、世間の人々が皆、正法に背く謗法充満の国土であるために、善神は国を去り、魔や悪鬼が来て、災(わざわ)いが起こることを示されています。したがって、神社には善神はおらず、悪鬼の栖(すみか)となっているのですから、そこに参詣することは悪鬼を拝(おが)む行為となり、それによって魔の力を増長させてしまうことを知らなければなりません。 これらの意味から、他の宗教にかかわる祭りへの参加や寄付行為などは、邪教の繁栄に加担(かたん)することになり、災いをもたらす要因を作ることになるわけですから、厳に慎(つつし)まなければならないのです。 |