平成24年3月16日付
総本山を歩く
第38歩 ~南之坊~
  総本山の三門をくぐり、中央塔中の西側一番手前に南之坊があります。
 南之坊は、第2祖日興上人の弟子であった少輔坊日禅師によって、正応3(1290)年の大石寺開創と共に創建されました。
 初めは少輔坊と称し、理境坊の北側にありましたが、総本山第17世日精上人の頃、御影堂建立による周辺の整備に伴い、現在の中央塔中の南端に移転され、坊号を南之坊と改められました。
 現在の建物は、平成20年に、『立正安国論』正義顕揚750年の記念事業として、御法主日如上人猊下によって再建新築された建物です。
 南之坊の本堂の御宝前には、総本山第31世日因上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 南之坊を創建された日禅師は、駿河国富士郡河合の由比家の出身で、日興上人とは親戚に当たり、もともとは熱原(静岡県富士市)滝泉寺(天台宗)の僧侶でしたが、日興上人の折伏教化により日蓮大聖人の弟子となりました。
 その後は、滝泉寺に住したまま正法弘通に励まれましたが、建治2(1276)年、滝泉寺院主代の行智が、日禅師等に対して、大聖人への信仰をやめ、念仏を称えるよう誓わせようとしたので、それに応じることなく河合に戻り正法護持を貫かれました。
 弘安3(1280)年には、大聖人様より御本尊を授与されています。
 大聖人御入滅後は、師匠である日興上人に随い、身延離山の際も日興上人と共に富士に移られ、後に本六僧の1人に選ばれています。
 また、日興上人の命により、祖父である河合入道と日興上人の母妙福の墓所を富士上野に移し、東光寺(現在は日蓮宗)を建立されたことが伝えられています。
 日禅師は、その後も大石寺に住し、元徳3(1331)年に亡くなられています。
 現在、日禅師の墓地は、客殿の東側から御影堂へ向かう道の右手にある、杉木立の中に建てられており、この場所が、もともと南之坊の前身である少輔坊の跡地と伝えられています。
 私たちは、大聖人、日興上人に信伏随従し、正法護持・折伏弘教に邁進された日禅師の信仰の精神を学び、御命題達成に向け勤行・唱題・折伏に励むことが大切です。