平成22年1月16日付
 客殿の東側の杉木立の中に、少輔公日禅の墓所があり、五輪塔が建てられています。
 日禅は、駿河国富士上方河合(静岡県富士郡芝川町)の由比家の出身で、第二祖日興上人とは外戚の関係に当たります。
 元々は、天台宗・熱原滝泉寺の僧侶でしたが、建治元(1275)年頃、日興上人の折伏によって、日蓮大聖人の弟子となり、自行化他の信行に励みました。
 しかし、翌建治二年、滝泉寺の院主代・行智は、日禅らに対し、法華経の読誦を禁止し、称名念仏の誓状の提出を求めました。日禅は、これに応じることなく大聖人の仏法を固く守り、その結果、住坊を奪われて河合に戻りましたが、その後も絶えず正法護持・折伏弘教に励みました。
 弘安三(1280)年5月には、大聖人より大幅の御本尊を授与され、現在は、総本山において厳護されて、毎年の御霊宝虫払大法会の際、御宝前に奉掲されています。
 また、大聖人御入滅後も師匠である日興上人に信伏随従し、身延離山の際も共に富士に移られ、大石寺開創時には現在の墓所の地に南之坊を建立されています。
 日興上人の『弟子分本尊目録』には、
 「駿河国富士上方の河合少輔公日禅は日興第一の弟子也」
とあるように、日興上人の『本六僧』の一人に選ばれています。さらに、日興上人の命により、祖父である河合入道、また日興上人の母妙福の墓所を上野に移して、東光寺(現在は日蓮宗)を建立し、日興上人の母妙福の碑を立てて河合に妙興寺(現在は日蓮宗)の基を築いています。そして、日禅は、元弘元(1331)年3月12日に遷化されました。
 私たちは、日興上人の教化により弟子となって以来、大聖人、日興上人に信伏随従し、本宗の信仰を篤く貫かれた日禅の姿勢を学び、次の御命題に向かって、日々の自行化他の信心修行に一生懸命励むことが大切です。