栴檀を炭にした子
 
 昔、ある長者に一人の子息がいたが、貸(物の価値)を弁えることができなかった。父は子を外国に行かせ、交易をさせた。子は始め、高価な栴檀を積んで他国へ往き商売をしたが、久々に售(う)れなかった。そこで他の人に市では何が貴ばれているのかと尋ねた。すると、ここでは炭が貴ばれていると言われたので、子は早速、栴檀を焼いて炭としたのである。

 日寛上人は「摂受の時は機を将護するので、機が熟さなければ大法を与えてはいけない。もし与えると、かえって機を損じてしまうことがある。
 商の器量のない者に大切な宝を与えて商売をさせたからこういう失敗をしたのである。何のかいもなくなってしまった。今また、このように寿量の妙法は本地甚深の奥蔵・山河の珠(たま)たる無上至極の重宝であるから、釈尊は卒爾(そつじ)に与えず機縁が熟するまで待って、寿量品にきて説き顕し、普く一切衆生に与えたのである。
 だから、大聖人も本尊抄に『迹門十四品にいまだこれを説かず、法華経の内に於いても時機未熟の故か』と記されている」と仰せである。
(歴代法主全書四巻)
           (高橋粛道)