覆 器
 
 羅雲(らうん)は多分に妄語(嘘)をつくことを喜びとしていた。その嘘で無量の人人を仏に会えないようにしていた。釈尊はこのような羅雲の悪癖(あくへき)を矯正しようとして遠方まで行き、羅雲に水を汲んでくるように命じた。
 羅雲は水を汲んで仏に捧げた。すると突然、釈尊の脚(あし)が跳(は)ねて操盤(手や髪を洗うときに使うたらい)をひっくりかえしてしまったが、あえて釈尊はそれに水を注がせた。その時、羅雲は器(うつわ)がうつぶせになっていては水を入れることができませんと答えた。すると釈尊は「汝は覆器(ひっくりかえった器)のようで、法水が入らない」と言い、種々羅雲を呵責(かしゃく)したのである。

 これは『大論』に説かれていて、日寛上人は誡勧二門を説明するために引かれたもので、文意を次のように仰せである。
「釈尊が羅雲の妄語を誡めたのは誡門であり、実語を話せと言ったのは勧門である。今そのように久遠実成・真実己証の法を聞いて疑いなく信ぜよ。もし少しでも疑えば、彼の器のうつぶせになって水が入らないようなものである。また、疑えば本地難思境智の妙法の法水が汝等が己心に入らないから、少しも疑わず信じなさいと誡勧されたのである。在世と滅後とは時期は異なるが、信心の無い者は覆器の如くである。
 故に妙楽大師は『覆器』とは信無き故、器の覆(うつぶせ)るが如しと述べている」。
 なお、羅雲とは羅ゴ羅(らごら)のことで、ヤソーダラ妃の間に出来た釈尊の実子である。
(歴代法主全書四巻一六八)
              (高橋粛道)