愚人の守株
 
 宋(そう)の時代に愚人が草や低木などが茂ったままになっている土地を耕して畑を造ろうとしていた。
 ある日、愚人の前で、野において一匹の兎(うさぎ)が木の株に当たって死んでしまった。何の努力もなく兎を得てからは畑仕事もせず、毎日、株をじっと見守って好機を待っていた。ねがわくば兎のありますようにと念じつつ。
 この有様を見て付近の人が色々諭(さと)したが、敢(あ)えて聞き入れようとしなかった。故に世間では相(あい)伝えて、迷に執(しゅう)する者を「守株」というようになった。
 これは『韓子(かんし)』にある話で、日寛上人は「今、寿量品を聞いても始成の迹門に執する人は、彼の愚人が株を守ったようなものである。本門寿量を聞いた後は始成の迹門を捨てよ」と仰せである。
 (歴代法主全書四巻・寿量演説抄上)
(高橋粛道)