一鉢の飯
 
 昔、舎衛城の隣町に、ある夫婦が住んでいた。釈尊はその夫婦の住む家まで行って乞食(こつじき)をした。
 婦人は飯を終に入れ、数歩さがって釈尊を礼拝した。仏はその時、婦人の供養に村し「一を種(う)えて十を生じ、十を種えて百を生じ、百を種えて千を生じ、千を種えて万を生じ、万を種えて億を生じる」と語った。
 婦人の夫は釈尊の言葉を信じることができず、そのことについて沙門に質問をした。沙門は「一鉢の飯を施すぐらいでそんなに大きな福を得られるわけがない」と言った。すると仏は「汝、尼拘陀樹(にくだじゅ)の高さはどのくらいか」と尋ねた。沙門は「四、五里(日本の一里を四キロとする単位とは違う)で、木に数万斛(こく)の実をさげていて、その核の大きさは芥子粒(けしつぶ)ほどです」と答えた。そこで仏は弟子の誤りを糺(ただ)して「汝の考えはずいぶん違っている。芥子ほどの小さい種を植えるとやがて四、五里の大木となり、秋には数万斛の実をつけるのである」と教えた。聴衆は一同にその実を見つめた。
 さらに仏は「大地はその報力を知ることができない。人間は有情で、歓喜して一鉢の飯を捧げる、その福報は称計することができないほど大きい」と教えられた。これを聞いて弟子と主人の二人は心が開けて須陀オン(しゅだおん)を得ることができた。

 これは旧雑譬喩経に説かれていて、
日寛上人は「釈尊に供養してこうであるから、御本仏への供養はもっと勝れている。しかもその元意は、一句の師を供養するのは三大秘法を供養することになる」といわれている。
大聖人は『南条殿御返事』に
「然るに釈迦仏は・我を無量の珍宝を以て億劫の間、供養せんよりは・末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍・過ぐべしとこそ説かせ給いて候」(全集一五七八)と仰せである。
(新説結座説法)

  (高橋粛道)