婢使(ぬし)の御供養
 
 昔、仏の在世に徳勝は仏に土の餅(もち)を奉上して阿育大王と生まれ、だいたい南閻浮提を知行した。王は常に信心を衆僧に乞(こ)い、宮中で布施をしていた。
 時に王宮のなかに一人の婢使(下女)がいた。彼女は最貧下賎で、王が福をなすのを見て自らを剋責して「王は先身に如来に土の餅を布施して今、富貴を得、今日重ねて衆僧に供養をなしており、将来は今以上に素晴らしくなろう。しかし、我は先身の罪により今日、召し使いとなった。またまた貧しく福を修すべきもないから、将来は今以上に貧しくなるだろう。この境涯から這(は)い出る道はないものか」
と泣きくずれていた。
 ある日、衆僧が食を乞いに宮中にやってきた時、この婢使は地面の糞(あくた)を掃除していた。すると、その糞のなかに一枚の銅銭があった。婢使はこれを拾い上げ、この一銭を衆僧に施したので心が大いに歓喜した。その後、久しくせずうちに婢使は病に倒れ命終したが、やがて阿育大王の子供として比べる者が少ないほど美人に生まれた。その子は右手を常に握っていたので王は抱えて膝(ひざ)の上に置き、手をなでると自ら開いた。すると掌中には一枚の金銭があり、取っても取っても取り尽きることがなく、わずかの間に蔵が金銭で満たされてしまった。
 王は不思議に思い、上座の耶奢(やしゃ)羅漢に問うた。すると僧は「この子は先身に王宮で働いていた者で、糞のなかから一枚の銅銭を拾い衆僧に布施をした。その善根により王家に生まれ、王者となった」と言い、さらに「昔、一銭を衆僧に布施した善根の因縁が常に手のなかに一枚の大金銭を握ることとなり、取っても尽きないのである」と答えた。
 これは阿育大王経に説かれ、類雑、法苑珠林に引用され、いかに供養することが大事であるかを述べたものである。(新説結座説法)
   (高橋粛道)