老比丘と毛毬(けまり)
 
 釈尊の御在世中に相当年をとって出家した老比丘がいた。この僧はたいへん信心が深く、ある時、寺院に来て「我に道果を与えてください」というと、若き僧は偽り言い包(くる)めて「斎(とき)を営めば与えよう」といった。老比丘はいわれたように斎を営んだのであった。
 また、禅鞠(ぜんきく)といって座禅の時、眠りを覚(さ)めさせるために頂(いただき)に置く毛毬のようなものがあるが、ある時、小沙弥が戯(たわむ)れて「汝に初果を与えん」といって老比丘を座らせ、毛毬をその頭上に乗せ、「これは初果である」といった。素直な老比丘はこれを信じて初果を得ることができた。
 小沙弥がまた弄(もてあそ)んで「第二果」といって頭上に置き、次第に「第四果(阿羅漢果・小乗の最高の悟り)」というと、老比丘は深くこの言葉を信じていたので第二果から順次、第四果まで得ることができた。その結果、老比丘が道品の功徳(涅槃に至る道法)を自在に説いたので、他の沙弥どもは恥じて咎(とが)を謝したのであった。

 この説話は『沙石集』に記されているが、毛毬のことは妙楽大師の『弘決』に説かれており、出家の時期や年数とともに、純真に信心に励むことの大切さを教えている。
 日寛上人は、小沙弥の言葉を信じてさえこの功徳があるのであるから、邪法邪師の邪義を捨てて宗祖大聖人の御金言を信じ、信仰する人は、即身成仏の大功徳を得るのは疑いないと仰せである。(新説結座説法)
(高橋粛道)