壷公(ここう)
 
 昔、唐の長安に常に薬を売る老翁(壷公)がいた。翁(おきな)は薬を相手の言い値で売っていた。この老人がどういう人なのか、知る人はいなかった。

 そのとき、汝南(しょなん)の費長房という人が町の奉行に就任した。彼が楼の上に立って町を見回していると、翁は一つの壷を持っていて、日暮れ時になると人に知られずにこの壷の中に躍り入った。長房はこれをたびたび目撃して、この翁はただ人でないと知り、訪ねて行き、敬って食物などをすすめると、翁は非常に喜んだ。

 かくして何年か経(た)って、翁が長房に
「君には金骨の相がある。仙道を学ぶことができよう。日が暮れて人のいない時分に来なさい」
と告げた。言われたとおり日暮れに行くと、翁は「我に続いて壷の中に躍り入れ」と言って、先に翁が躍り入り、長房がそれに続いた。

 壷の中には天地、日月があり、宮殿、楼閣は見事であった。侍者は数千人いて老翁を助け敬っていた。長房は快楽に浸(ひた)りながらも、なお故郷を忘れることができなかった。老翁はそのような長房の気持ちを察して「もし君が帰りたいと思っているなら、これに乗って行きなさい」と、一つの竹の竿(さお)を与えた。長房はこの竹の竿に乗って長安に帰ってきたのである。

 この竿を葛陂(かっぴ)という所の水の中に投げ捨てると、竿はすぐに青い竜となって天に登り去った。

 この話は『神仙伝』の「壷公」と題する中にあって、憂世(うきよ)の命や名はただ夢の中にあるだけで、はかないものであるということを述べているのである。作者は深山に幽栖(ゆうせい)していたので、壷中の世界を世上の無常の世界に充てたのである。

 日寛上人は「昨日ある人でも今日はなく、昨日、今日も鳥部野(とりべの)・船岡(ふなおか)山へどのぐらいの人を送ったことか。その人数から漏れて今日参詣したのだから、悦び勇んでお題目を唱えるべきである」と言われている。
(寿量演説抄・歴代法主全書四−一七四)