帝釈の求道
 
 昔、毘摩(びま)大国という国に狐がいた。
 
 狐は師子に追われて逃げているうちに涸(か)れ井に落ちてしまった。狐は井戸からあがりたくとも深くて飛び上がることが出来なかった。水も食もない日が数日続いたので、まさに餓死しょうとしていた。

 そのとき狐は「禍(わざわい)なる哉、今日苦に逼(せめ)られてすなわち命を丘井に没すべし、一切万物は皆無常なり恨(うら)むらくは身をもって師子に飼わざりけることを。南無帰命十方仏、我心の浄くして已(や)むこと無きを表知し給え」と唱えた。

 このとき天にいる帝釈が狐の文を唱える声を聞いて自ら下界におり、井の中の狐を取り上げて法を説いてほしいと言うと、狐は「弟子が上座で師が下座にいることは逆である」と言うので、諸天は笑った。

 帝択は誠にと思い、下に居して「法説きたまえ」と請うた。
 そうするとまた狐は「師も弟子も同座なのは逆である」と言うので、帝釈は諸天の衣を重ねて高座として、狐にのぼってもらい説法を請うた。

 狐のいわく「有人楽生悪死、有人楽死悪生」(人は生を楽しんで死ぬことを悪(にく)み、死を願って生れることを悪むものだ)。

 この文を帝釈は狐からおそわり、狐を師として尊敬したのである。

 この説話は妙楽大師の弘決に示され、『身延山御書』等に引用されている。

 雪山童子の鬼に随って偈を請うたことといい、日寛上人は法を求める精神の大切さを知らせるために引用したもので「一代超過の寿量品の談義であるから、いよいよ参詣して信心を益すことが肝要である」と言われている。

 御書には「袋きたなしとて金を捨る事なかれ」と説かれている。
(寿量品演説抄・歴代法主全書四−一五六)