摩    納
 
 大昔、摩納(まのう)という名の菩薩が山奥の静かな所で一心に仏道修行に打ち込んでいた。時に燃燈仏が御出世して一切衆生を利益なされるということを聞いたので摩納はたいへん喜び、仏所に参詣して供養し、説法を聴聞したいと願い山を下りて行った。

 すると、道には五百人の道士がいて銀銭一枚ずつ進上してくれたので都合、五百の銀銭をもらうことになった。銀銭を持った摩納が道を歩いていると、向こうから王家の婦人が七枝の青蓮華をさした花びんを持って通り過ぎて行った。この婦人の名は瞿夷(くい)という。

 摩納は婦人を追いかけ「その花は見事でござる。銀銭百文と交換してくだされ」と言うと、婦人は「それはできません。これは仏様のために持参したのですから、お渡しできません」と言った。「私はどうしてもその花がほしい。では銀銭二百文と交換しよう」「いや、それでもなりません」「それでは五百枚全部を進呈するから、どうかお願いしたい」と摩納が乞うたので、婦人はその志を感じて仕方なく銀銭五百枚と青蓮華五枝とを取り替えた。その時、婦人は「必ず後生には君の妻になります」と誓いを立てた。

 少しして燃燈仏が道をお通りになられるので、摩納は自分の髪を泥に布(し)いて仏に踏ましめ、五枝の蓮華を仏に散じたところ、華は虚空に留まり、また婦人の二枝の華も仏の御肩に留まった。時に、燃燈仏が摩納に仰せられるには「汝が無数劫より修行するところは皆清浄であるから、今日後の九十一劫過ぎた賢劫の時に釈迦牟尼仏という仏になるであろう」と記別を授けられたのであった。

 これは日寛上人が、この因縁によって今日、釈尊が仏になられたことを瑞王経をもとに紹介し、通教の行因の相を示されたのである。
(序品談義・歴代法主全書四−四三)