かん じ いん
勧 持 院
 
大日蓮より抜粋 
  
 創立百周年記念法要
  令和七年十二月二十一日午前十一時から、愛知県豊橋市の拗持院(渡辺定英住職・愛知東布教区副宗務支院長)において、同院の創立百周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同院は、名古屋市東区の妙道寺篤信の信徒であった松井伊助氏が、妙道寺住職・野木慈隆師のもとで出家得度したのち、松井氏と妙道寺信徒の寄進により、野木師を開基として、大正十五(一九二六)年十一月十二日に豊橋教会所が設立されたことに始まる。
 そのあと、昭和七年十一月二十三日に現在地へ移転新築したが、同二十年六月二十日の豊橋空襲の被害により、教会所が灰燻(かいじん)に帰した。当時、復興は難しい状況にあり、同二十七年五月五日に妙道寺の離れを移築して一応の復興がなされた。
 その後、復興事業が進められるなか、昭和三十三年十月三十日に総本山第六十五世日淳上人の名代として、細井精道総監(のちの第六十六世日達上人)の御導師のもと、本堂改築落慶入仏法要が奉修され、同三十八年三月十三日には「勧持院」と寺号公称した。
 昭和五十五年七月二十八日には、第七代住職として渡辺師が就任し、さらなる寺檀和合・寺運興隆が図られるなか、平成二年五月十日に第六十七世日顕上人の大導師のもと、本堂・庫裡新築落慶入仏法要が奉修され、「実法山」と山号も公称された。
 そしてこのたびの慶事に当たり、法華講員一同の御供養により、本堂・客殿の仏具の新調ならびに修繕、本堂照明のLED化、本堂床の全面絨毯(じゅぅたん)化、本堂椅子の新調、境内の万年塀の軽量フェンス化、信徒用トイレの改修、屋根の塗装等が行われ、同日の法要を迎えたものである。

 この法要には水島日叡総監、堀寿妙宗会議長、梅屋誠岳渉外部長、新井契道布教部長、宮野審道教学部長、三畝忍道愛知東布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、吉田裕明愛知東地方部長をはじめ同院の信徒等が参列した。
 法要は、渡辺住職の導師のもと、献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、藤井博夫総代から御供養目録が奉呈され、これに対して渡辺住職から受書が授与された。
 次に、藤川和秀総代から経過報告、水島総監・三畝支院長・藤井総代からそれぞれ祝辞が述べられた。
 続いて、司会から祝電が披露された。
 最後に、渡辺住職から参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 小憩ののち、布教師会会長の諏訪涼道師(福岡県久留米市・霑妙寺住職)により「広布の戦いは異体同心の信心から」と題して布教講演が行われた。
 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。