| 御法主上人猊下お言葉 |
| 10月度広布唱題会の砌 (令和8年10月4日 於 総本山客殿) 本日は、十月度の広布唱題会に当たりまして、皆様方には諸事御繁忙のところ、貴重な時間を割いて出席され、まことに御苦労さまでございます。 さて、今、国内外の渾沌とした様相を見ますと、その荒廃と混乱ぶりは、まさしく『立正安国論』に示された悪世末法の様相そのものと言っても過言ではありません。 すなわち、悲惨で残酷な大きな戦争へと拡大しかねない世界の各地で勃発している紛争や、水・陸・空の至るところに発生する災害や事件や事故など、次から次へと数え上げたらきりがありません。 これら、三災七難をはじめとする渾沌とした惨状を根本的に浄化する方途こそ、立正安国の原理であり、その具体的な実践が折伏であります。 その折伏について、大聖人様は『諸法実相抄』に、 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり」(御書 六六六�n) と仰せられています。 すなわち、広宣流布への道は、大聖人様のお振る舞いがそうであったように、妙法蓮華経の五字を初めは自分一人から、二人、三人、百人と次第に伝えていくことであり、「一人が一人の折伏」を私ども全員が実践するところに、広宣流布への道が大きく開かれてくるのであります。つま。、一人ひとりが心を開いて対話し、大聖人様の教えを伝えていくのであります。これが現代における折伏実践の原点であります。 また、我々は、折伏が最高の報恩行であることを知らなければなりません。 私どもは今、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の広大無辺なる大慈大悲によって、五満にまみれ、煩悩と業に苦しむ我が身を永遠の悟りの仏身と開き、現当二世にわたって、真実の幸福境界を成就する道を歩ませていただいております。 では、私達はどのようにすれば、この仏祖三宝尊の広大無辺なる御恩徳に報い奉ることができるのか。総本山第二十六世日寛上人は、三宝の御恩に報いる方途は、一天広布を目指して折伏を行ずることであると御指南であります。 すなわち『報恩抄文段』に、 「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(中略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段 三八四�n) と御教示あそばされています。まさに折伏こそが四恩、すなわち父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩に報いるための最善の道であると仰せであります。 その折伏を実践するに当たって大切なことは、唱題であります。唱題は一切の仏道修行の根本であり、成仏のための大切な行であります。大聖人様は『三大秘法抄』に、 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書一五九四�n) と仰せであります。すなわち、自行の題目とは唱題行であり、化他の題目とは折伏行であります。 されば、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、 「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段二一九�n) と、唱題行の功徳が満つるところ、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされています。この御指南からも明らかなように、唱題と折伏は一体のものであり、信心を根本とした唱題こそが折伏の源泉となるのであります。 また、私達が折伏をする上において心得べき大切なことは、御本尊様に対する絶対の確信であります。 よって、諸宗諸教は無得道にして不幸の根源であり、大聖人様の教え以外に私達が幸せになる道は絶対にないとの大確信を持って、人々に強く訴えていくことが大事であります。つまり、信心をしなければ本当の幸せは得られないことを、真心込めて伝えることが大切であり、その確信に満ちた言葉と真心が相手の心を動かすのであります。 では、強い確信に立つためにはどうすればよいか。それは、まず自らがしっかりと勤行、唱題に励んでいくことであります。御本尊様に真剣に祈り、相手を思う真心と、強い確信が命の底から涌き上がってきた時、その燃えるような一念の言葉は、必ず相手の心を揺さぶらずにはおかないのであります。 また、折伏達成のためには、自らの信心をもって功徳を実証することも大事であります。大聖人様は『法蓮抄』に、 「眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は信ずる人もありやせん」(御書 八一四�n) と仰せのように、御本尊様を信ずる私達が功徳の実証を示すことこそ、なによりも雄弁に正法の偉大さを相手に知らしめることになるのであります。 さらに、私どもが折伏をするに当たって大切なことは、慈悲の心を持つことであります。そもそも、この妙法は、いかにしたら幸福になれるかということを明かされた教えであります。したがって、これに則っていけば必ず幸せになれますが、反対にこれに背く、すなわち積極的に反対する場合ばかりでなく、妙法を信じないという正法不信の失も、あらゆる不幸を引き起こす元となるのであります。 また、逆に折伏をしないということは、人が謗法の害毒によって苦しんでいるのを見ながら聞きながら放っておくことですから、これほど無噺で無慈悲なことはありません。大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、 「云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大顆慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云」(同 九〇六�n) と、折伏をしないことは無慈悲であると仰せであります。 慈悲とは、相手の苦しみを取り除き、楽を与えることであります。したがって、どんなに心を許している友人がいたとしても、慈悲の心を持たないで、ただ表面的に仲良く付き合っていくことは、相手にとって怨にこそなれ、けっして為にはなりません。 また、法華経法師品には折伏の心得として衣座室の三軌が説かれております。衣座室の三軌とは、いかなる悪口罵詈等の暴言や妨害にも屈することなく、忍の一字で、母の子を思うが如き慈悲の心を持ち、相手の社会的地位等にひるむことなく、今日、今、自分は如来の使いとして妙法広布に資しているとの確信を持って、折伏することであります。 さらにまた、私どもの折伏は傍観者的であったり、あるいは勧誘的な弱い折伏であってはなりません。大聖人様は『曽谷殿御返事』に、 「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同一〇四〇�n) と御教示あそばされております。 今、世間には様々な邪宗教が蔓延しています。その邪義邪宗の害毒に誑かされた人達や、慣習的に邪宗教に浸りきっている人達が大勢います。そういう人達に対して「謗法こそ不幸の根源である」とはっきり破折することが大事なのであります。 つまり、邪宗教こそ人を不幸にし、国家・社会を危うくする元凶であることを知らしめ、謗法を破折することが折伏であります。 以上、折伏について少々申し上げましたが、もし友人、知人、親戚など折伏したい人がいれば、寺院や折伏座談会の会場などへお連れする、あるいは講中幹部の方にお願いして一緒にお宅へ伺うなど、色々と工夫をして折伏していくことが大事であります。 特に、本日お集まりの皆様には、本年度の折伏誓願目標は、たとえいかなることがあろうとも必ず達成するとの強い決意を持って、残り三カ月を無駄にすることなく、有効的かつ精力的に活動し、全力を傾注して折伏に邁進されますよう心から念願いたしまして、本日の挨拶といたします。 |