御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
7月度広布唱題会の砌
(令和8年7月31日 於総本山客殿)

 皆様、おはようございます。
 私どもは、末法の御本仏日蓮大聖人様の大慈大悲によって、煩悩と業に苦しむ我が身を、永遠の覚りの仏身と開き、一生成仏の道を歩ませていただいております。
 されば、私達は、どのようにすれば、この仏祖三宝尊の広大なる御恩に報いることができるのか。
 総本山第二十六世日寛上人は、三宝の御恩に報いる道は、折伏を行ずることであると仰せであります。すなわち『報恩抄文段』に、
「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(中略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段 三八四n)
と御教示あそばされております。
 この御指南の如く、まさに折伏こそが、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩の四恩に報いるための、最高至善の報恩行なのであります。
 その折伏を実践するに当たって、まず心得べきことは、自らが強盛な信心に立って、唱題することであります。唱題は一切の仏道修行の根本であり、成仏のための大切な行であります。されば、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(同 二一九n)
と仰せられ、唱題行の功徳が満つるところ、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされております。
 したがって、私どもが折伏をするに当たってなすべき大事なことは、相手の幸せを心から願い、御本尊に対する絶対の確信を持って唱題に励み、一人ひとりが、その功徳と歓喜と慈悲の心をもって折伏を行ずることであります。すなわち妙法は、いかにしたら幸福になれるかということを明かされた、至高最善の教えであります。
 大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云」(御書 九〇六n)
と仰せであります。慈悲とは、相手の苦を取り除き、楽を与えることであります。したがって、どんなに心を許している友人がいたとしても、慈悲の心を持たないで、ただ表面的に仲良く付き合っているだけでは、相手にとって為にはならないのであります。
 また、私どもの折伏は、傍観者的な姿勢であったり、弱い折伏であってはなりません。大聖人様は『曽谷殿御返事』に、
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同一〇四〇n)
と仰せであります。世間には、様々な邪宗教が蔓延しております。その邪義邪宗に誑かされた人達や、何も解らずに邪宗教に浸りきっている多くの人達がおります。
 そういう人達に対して「謗法は不幸の根源である」と伝え、不幸の根源たる謗法を破折することが大事なのであります。
 つまり折伏は、邪宗教こそが人を不幸にし、国家・社会を危うくする元凶であることを伝え、一切の謗法を破折し、正しい法に帰依せしめることであります。
 そして、その折伏は、誰でもできることであります。もし、友人、知人、親戚など、折伏したい人がいれば、寺院や折伏座談会の会場などへお連れするなどして、講中幹部の方々や親しい人にお願いして話をしてもらうことも大事であります。要は、やろうと思えば折伏は誰でもできるということであります。
 特に、本日お集まりの皆様には、本年度の折伏誓願目標は、たとえいかなることがあろうとも必ず達成するとの強い信念を持って、講中一結・異体同心し、いよいよ有効的、かつ精力的に折伏に邁進されますよう心から念願いたしまして、本日の挨拶といたします。