大 白 法令和8年5月1日付
  
          総本山第12世 日鎮上人の御事蹟
 
 総本山第十二世日鎮上人の第五百回遠忌法要が六月二十三日・二十四日、総本山において奉修されるのにあたり、日鎮上人の御事蹟を掲載します。

御出生から御登座まで

 日鎮上人の御事蹟は、総本山第十七世日精上人が記された『家中抄』の「日鎮伝」に概略が紹介されています。

 日鎮上人は文明元(一四六九)年、下野国(現在の栃木県)に御誕生されました。氏姓については明らかではありません。
 文明十四(一四八二)年、第九世日有上人から唯授一人の血脈相承を受け、第十二世の御法主上人として御登座あそばされました。
 戦乱の世における宗門を取り巻く情勢は、現代からは想像だにできない厳しさがありました。このとき、かねて日有上人より薫陶を受けられていた南条日住師・左京日教師・三位阿闍梨日芸等の老僧が後見として、大石寺の運営維持の面において、お若き日鎮上人を補佐されました。
 すなわち南条日住師は、本宗の化儀・信条等について平素、日有上人から承っていた内容を、日有上人御遷化の翌年にあたる文明十五年に百二十一箇条からなる『化儀抄』としてまとめ、これを日鎮上人に奉呈されています。
 この『化儀抄』は、第二祖日興上人の『遺誡置文』二十一箇条とともに、今日の宗門の化儀の基をなす重要な書物です。
 また左京日教師は、日鎮上人の命により、『六人立義破立抄私記』と題される法義書を著したと伝えられています。

各地への弘通

 徹登座以後の日鎮上人の行跡に関して、『家中抄』「日鎮伝」には、「明応三(一四九四)年十月十九日、富士を発して東国に下向するなり。大永五(一五二五)年には四国に到り、土佐の大乗坊に於て説法教化す」(日蓮正宗聖典 九二七n)
と記されています。すなわち日鎮上人は、東は東国(奥州や下野など)より西は四国土佐に至るまで、全国を股にかけて布教に尽力されました。
 なお、ここに見える「土佐の大乗坊」とは「土州吉奈大乗坊」とも称され、現在の高知県宿毛市山奈町芳奈に存在した本宗の拠点であったと考えられます。この吉奈大乗坊については、既に日興上人の時代に、弟子の寂日房日華師によって法華堂(大乗坊の前身)が開かれたと伝えられており、また日有上人の時代にも弘通の足跡が確認されます。

 日鎮上人もまた、長享二(一四八八)年にこの大乗坊の住僧・三位阿闍梨日芸師に御本尊を授与し、翌々年の延徳二(一四九〇)
年には書状を送られています。そこには、
「早々富山(※大石寺のこと)へ参り候て、愚僧の助縁にも立ち候はん事大慶為るべく候」(歴代法主全書一−四四四n)
と、日鎮上人が大石寺への登山を要請されたご様子が綴られています。

大石寺の諸堂再建

 大永二(一五二二)年、日鎮上人は大石寺の御影堂等の重要な堂字の再建を果たし、また総門(黒門)を創建されるなど、総本山の伽藍を整えられました。このうち総門については、古来、黒塗りであることから「黒門」とも称されます。
 また翌大永三年五月には、日鎮上人の当時に総本山で行われていた勤行の形態を記した『堂参御経次第』を著されました。この史料からは、当時の勤行が諸堂を廻って行われていたことがうかがわれ、これは現代の五座・三座の勤行の原形となるものです。
 日興上人の『日興跡条々事』に、
「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり」(御書一八八三n)
と示されるように、総本山大石寺においては開創以来、代々の御法主上人によって諸堂宇の修理がなされ、広宣流布を願う丑寅勤行が連綿と執り行われてきました。日鎮上人の御事蹟からも、そうした御歴代上人の広布にかける御姿をありありと拝することができるのです。

日院上人への御付嘱・御遷化

 先に紹介したように、日鎮上人は土佐国吉奈の大乗坊の三位阿日芸師を教化され、また大永五年には同坊に下向して説法されるなど、御生涯を通じて吉奈との深い繋がりを持たれていたことがうかがわれます。
 『家中抄』によれば、日鎮上人は、吉奈の図書助高国という大名の子息・良王殿を出家させ、弟子とされています。この良王殿とは後の第十三世日院上人であり、道号を右京と号されました。日鎮上人は右京師(良王殿)を付弟と定められて、総本山および末寺の僧俗に対し、この御方を仰ぎ奉るようにと告げられ、その後、唯授一人の血脈を相承されました。
 そして、大永七(一五二七)年六月二十四日、日鎮上人は五十九歳を一期とし、安祥として御遷化あそばされました。その御在職期間は実に四十六年間の長きにわたり、総本山の伽藍整備など、令法久住・広宣流布のために捧げられた御生涯であられました。
 なお日鎮上人をはじめ、戦国時代当時の史料は極めて乏しく、以上紹介してきた御事蹟についても、新たな史料の発見により年時等が改められる可能性もあります。何よりも私たちは、こうした外圧の厳しい動乱の時代にあって、命がけで御法を護り伝えてこられた御先師の行跡を虚心坦懐に拝し、御報恩謝徳の念を持つことが大切なのです。