教えのやさしい解説

大白法 514号
 
若悩乱者頭破七分(にゃくのうらんしゃずはしちぶ)
 「若悩乱者頭破七分 有(う)供養者福過(ふっか)十号」
「若悩乱者頭破七分」とは正法(しょうぼう)誹謗(ひぼう)の罰(ばち)をいい、「有供養者福過十号」とは正法受持の功徳をいいます。
「若悩乱者頭破七分」は、妙楽大師の『法華文句(もんぐ)(き)』に説かれた文(もん)で、「若(も)し悩乱する者は頭(こうべ)七分(しちぶ)に破(わ)る」と読みます。これは法華経『陀羅尼品(だらにほん)』に、「若し我(わ)が咒(しゅ)に順ぜずして 説法者を悩乱せば 頭破れて七分に作(な)ること 阿梨樹(ありじゅ)の枝の如くならん」(新編法華経 五八〇n)と示される、法華経の行者を悩乱する者の頭を鬼子母神(きしもじん)・十羅刹女(じゅうらせつにょ)が阿梨樹の枝のように破る、との誓いを釈(しゃく)した文です。
 また『種々御振舞御書』に、
「頭破作七分と申すは或(あるい)は心破作(しんはさ) 七分とも申して、頂(いただき)の皮の底にある骨のひゞたぶるなり。死ぬる時はわるゝ事もあり(中略)これは法華経の行者をそ(謗)しりしゆへにあたりし罰(ばち)とはし(知)らずや」(御書一〇七一n)
とあるように、「頭破七分」は「心破作七分」ともいいます。日蓮大聖人は、三大秘法の大御本尊および大御本尊を信ずる人を誹謗する者は、頭(あたま)が破(わ)れ、心(精神)が錯乱(さくらん)すると御教示(ごきょうじ)されています。
 次に、「有(う)供養者福過(ふっか)十号」とは、同じく「文句記』に説かれた文で、「供養する有らん者は福十号に過ぐ」と読みます。『薬王菩薩本事品』に説かれている法華経受持の功徳を釈した文です。
「十号」とは、仏の十種の尊称(そんしょう)のことで、如来(にょらい)・応供(おうぐ)・正遍知(しょうへんち)・明行足(みょうぎょうそく)・善逝(ぜんぜい)・世間解(せけんげ)・無上士(むじょうし)・調御丈夫(じょうごじょうぶ)・天人師(てんにんし)・仏世尊(ぶっせそん)をいいます。
 同品(どうほん)に、「若(も)し復(また)人有って、七宝(しっぽう)を以(もっ)て三千大千世界に満(み)てて、仏、及び大菩薩、辟支仏(ひゃくしぶつ)、阿羅漢(あらかん)に供養せん。是(こ)の人の所得(しょとく)の功徳も、此(こ)の法華経の、乃至一四(いっし)句偈(くげ)を受持する、其(そ)の福の最も多きには如(し)かじ」(新編法華経・五三二n)と、三千大千世界に満つる七宝を仏に供養するよりも、法華経の一四句偈を受持する功徳のほうが大きいことが説かれているように、法華経を供養する功徳は十号を具(そな)えた仏を供養する福に勝(すぐ)るのである、と賛嘆(さんたん)しています。
『御本尊七箇之(しちかの)相承』に、
「本尊書写の事、予(よ)が顕わし奉るが如くなるべし。若し日蓮御判(ごはん)と書かずんば天神・地神もよも用(もち)い給わざらん。上行(じょうぎょう)・無辺行(むへんぎょう)と持国(じこく)と浄行(じょうぎょう)・安立行(あんりゅうぎょう)と毘沙門(びしゃもん)との間には、若悩乱者頭破七分有供養者福過十号と之(こ)れを書く可(べ)し。経中の明文(みょうもん)等心(こころ)に任(まか)す可(べ)きか」(日蓮正宗聖典 三七九n)
と御相伝(ごそうでん)のように、両文(りょうもん)は、御本尊の右肩(みぎかた)と左肩にそれぞれ認(したた)められています。
 末法に大聖人の仏法を信ずる私たちは、本門戒壇(かいだん)の大御本尊を正しく受持し、正法(しょうぼう)誹謗の悩乱者に対して折伏を行じて正法を賛嘆(さんたん)供養すれぼ、莫大(ばくだい)な功徳をいただくことができるのです。