教えのやさしい解説

大白法 687号
 
金剛宝器戒(こんごうほうきかい)
 金剛宝器戒とは、寿量文底(もんてい)本因下種仏法における妙法の御本尊を受持する戒法をいいます。金剛宝器とは、土で作った瓦器(小乗の戒)や、金銀で作った金銀器(権大乗の戒)に対し、金剛=ダイヤモンドを磨いて作られた不壊(ふえ)の器のことをいうのです。
 まず、戒とは防非止悪(ぼうひしあく)・勧善(かんぜん)止悪の義で、戒を持つことによって、身と口と心の非を防いで悪を止め、仏道のあらゆる功徳の元となる最善の成徳を成就するのです。
 こうした仏教中の戒法には、小乗の戒と大乗の戒があり、また大乗の戒には、権(ごん)大乗の諸経の戒と実(じつ)大乗の法華経の戒があります。

小乗の戒は瓦器(ごき)
 小乗の戒には、在家の守るべき五戒、八斎(はっさい)戒、沙弥(しゃみ)の十戒、比丘(びく)の二百五十戒、比丘尼(びくに)の五百戒などがあります。しかし、それらの小乗の戒は尽形寿(じんぎょうじゅ)といって、その戒の功徳が続くのは今世(こんぜ)の身体と寿命のあるうちだけなのです。
 これについて伝教大師は『一心金剛戒体秘決』に、
「二乗の戒(中略)譬へば、瓦器の若し完(まった)けれども則ち用卑(いやし)く、若し破れば則ち永く失うが如し」(伝教大師全集一巻 四八六)
と述べ、小乗の戒を瓦器、つまり土で作った器が壊れて形を失ったならば永久に用をなさないことに譬えています。これは小乗の戒を受けるとき、受戒者は一往、戒の功徳を得るのですが、それが及ぶのは今世一生に限るので、一生が尽きれば戒の功徳もそのまま失われるということです。

権大乗の戒は金銀器戒
 次に、権大乗の戒とは大乗の菩薩が持つ戒で、梵網(ぼんもう)経に説かれる十重禁戒や四十八軽戒等があります。
 これについて伝教大師は『一心金剛戒体秘決』に、
「菩薩の戒(中略)譬へば、金銀を以て器を為るが如し。用ふれは則ち貴く、器を破りて之を用ひざるも而も猶尊きがごとし」(同)
と、権大乗の戒を金銀の器に誓えています。つまり、金銀をもって作った器は貴く、たとえ壊れて器の用をなさなくなったとしても、なお金銀としての価値が残るように、菩薩は死んでその身を失っても、その大乗の戒の功徳は失われることがないということです。
 しかし、梵網経は権(か)りの大乗経であり、円教という真実の教理の他に方便の諸教が混ざっているために即身成仏の戒の功徳が成就できず、結局、成仏に至らないのです。

法華経の戒は金剛宝器戒
 以上の小乗・権大乗に対し、実大乗の法華経には、九界即仏界、仏界即九界の十界互具の成仏が説かれています。したがって、この法華経を信じ持つ者は、いかなる衆生も十界具足の戒の大功徳を成就して即身成仏することができるのです。
 この法華経の戒について伝教大師は
『一心金剛戒体秘決』に、
「如来の宝戒。一(ひとた)び之を受くれば、則ち永劫に失せず。而も大用を十界に施す。譬へば、金剛の利宝と成れば更に破壊せざる」(同)
と示されています。これは金剛すなわちダイヤモンドを磨いて宝器とすれば、何ものにも破壊されることがないように、法華経の戒を受けたならば、将来的にいかなることがあっても、妙法の戒体は失われることがないということです。故に、法華経の戒を「金剛宝器戒」というのです。
 釈尊在世、正法(しょうぼう)、像法(ぞうぼう)の衆生は、久遠において妙法下種の戒体の大功徳を受けていたのです。そこで仏は、熟益・脱益の諸法、つまり方便の爾前権教(にぜんごんきょう)を四十余年間説いて機根を調(ととの)え、最後に法華経を説いて真実の戒定慧を聞き、過去の戒の功徳を引き出して成仏得脱なさしめたのです。

 末法における真実の金剛宝器戒
 大聖人は、末法における戒について『教行証御書』に、
「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(な)り。此の五字の内に豈(あに)万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし」(御書一一〇九)
と仰せられています。
 過去に妙法の下種を受けていない末法の衆生にとっては、小乗や権大乗、文上の法華経など、熟益・脱益の諸戒は正しい仏道修行の戒法とはなりません。末法においては、三世諸仏の万行万善万戒の功徳を収めた法華経本門寿量品の肝心、文底下種の妙法蓮華経の戒を持つことによってのみ、即身成仏の本懐を成就できるのです。
 すなわち、本門の本尊を信じて唱題に励む受持即持戒の一行こそが末法唯一の戒行となるのです。しかも、一度この文底下種の妙戒を受持すれば、どのようなことがあっても妙法の戒体は破られることがありません。故に、この下種の妙戒こそ、真実の「金剛宝器戒」というのです。
 なお、今日の創価学会のように、たとえ文底下種の妙戒を受けたとしても、そこから退転し、また正法を誹謗(ひぼう)したならば、その大罪によって必ず地獄に堕ち、無量の時を苦しまなければなりません。しかし、それでも一度受けた下種本因妙の戒体は失われないので、遠い未来、熟脱の化導によってその戒徳を顕し、必ず成仏を遂(と)げることができるのです。
 とはいえ、成仏の根幹は下種仏法にあるのですから、堕獄必定の創価学会員をも今生において救済していくことが我々の使命であることを再確認し、近くは「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の御命題達成に向け、いよいよ破邪顕正の大折伏を行じていくことが大切です。