教えのやさしい解説

大白法 455号
 
順縁と逆縁(じゅんえんとぎゃくえん)
 順縁とは、素直(すなお)に仏縁を結(むす)ぶということです。順は素直の意(い)であり、縁は仏縁を意味します。したがって、仏の真実の教えである妙法の教えを聞いて素直に信じ、仏道に精進する者を順縁の衆生といいます。
 逆縁とは、妙法の教えを聞いても信ずることなく破法(はほう)・謗法(ほうぼう)を重ね、後にその罪が逆に仏縁となっていくことをいいます。このような衆生は、永く悪道に堕(お)ちて苦しみを受けなければなりませんが、一度植(う)えられた妙法の仏種(ぶっしゅ)は失(う)せることなく衆生の心田(しんでん)に残ります。そして、その仏種が縁にふれて薫発(くんぱつ)し、やがて得脱(とくだつ)することができるのです。このような因縁(いんねん)で救われていく衆生を逆縁の衆生といいます。
 逆縁は、毒鼓(どっく)の縁ともいわれます。なぜ、毒鼓の縁というのかといえば、
『涅槃経(ねはんぎょう)』に、
 「雑(ぞう)毒薬を以(も)って用(もち)いて、太鼓(たいこ)に塗(ぬ)り、大衆の中において、之(これ)を撃(う)ちて声を発(おこ)さしむるがごとし、聞かんと欲する心無(な)しと雖(いえど)も、之を聞けば皆死(し)す」
とあるように、毒鼓とは毒を塗った太鼓のことで、これを叩(たた)くことによって、その太鼓の音を聞いた者を必ず殺(ころ)すのです。つまり、仏の法を聞いて信じなくても、その謗法が逆に成仏の因縁となって、やがては仏になることを譬(たと)えているのです。
 順逆の二縁(にえん)は、久遠元初(がんじょ)以来の無量の衆生に当てはまりますから、久遠元初、五百塵点劫(じんでんごう)、三千塵点劫等と、仏の化導(けどう)と衆生の機根(きこん)の関係は様々に論じられます。末法の衆生は久遠元初と同じ本未有善(ほんみうぜん)の衆生です。久遠元初の御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人が南無妙法蓮華経をもって下種(げしゅ)折伏して順逆二縁の衆生を生(しょう)じさせ、順逆ともに下種の妙法によって救済されるのです。
 すなわち、『法華初心(しょしん)成仏抄』に、「当世(とうせい)の人何(なに)となくとも法華経に背(そむ)く失(とが)に依(よ)りて、地獄に堕(お)ちん事疑(うたが)ひなき故(ゆえ)に、とてもかくても法華経を強(しい)ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとしても仏の種は法華経より外(ほか)になきなり」(平成新編御書 一三一六)
とあるように、順縁の衆生は南無妙法蓮華経を素直に信受して即身成仏の大功徳を受けますが、逆縁の衆生は誹謗(ひぼう)の罪によって一時は無間(むけん)地獄に堕ち、無量の罪苦(ざいく)を受けます。それでも、やがては自らの心田(しんでん)に植(う)えられた妙法の仏種が薫発(くんぱつ)し、必ず成仏することができるのです。それは、南無妙法蓮華経こそ三世(さんぜ)の一切衆生を悉(ことごと)く成仏せしめる下種の大法(だいほう)だからです。
 私たちは、多くの人々を救済していくためにも、大聖人の御金言(ごきんげん)のまま、三大秘法の正法(しょうぼう)を聞法(もんぽう)下種していくことが肝要(かんよう)です。