教えのやさしい解説

大白法 447号
 
衣座室の三軌(えざしつのさんき)
 衣座室の三軌とは、法華経の『法師品(ほっしほん)』に説かれたもので、滅後(めつご)に法華経を弘通(ぐずう)するための三種の心得(こころえ)をいい、弘経(ぐきょう)の三軌ともいいます。同品に、
 「若(も)し善男子(ぜんなんし)、善女人有って、如来の滅後に、四衆(ししゅう)の為に是(こ)の法華経を説かんと欲(ほっ)せば、云何(いかんが)が応(まさ)に説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入(い)り、如来の衣を著(き)、如来の座に坐(ざ)して、爾(しか)して乃(いま)し四衆の為に広く斯(こ)の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是(こ)れなり、如来の衣とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是れなり。如来の座とは一切法空(くう)是れなり」(開結三九四頁)
とあるように、仏の滅後に法華経を説く者は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して法を説くように示されています。
 如来の室とは「大慈悲心」ということです。他人に正しい法を弘宣(ぐせん)しようという、大慈悲の心を起こすことです。
 如来の衣とは「柔和忍辱の心」ということです。柔和(にゅうわ)とは、仏の教えにしたがって純真な気持ちを持つことです。忍辱(にんにく)とは、正しい法を弘(ひろ)めるならば、毀(そし)られたり、辱(はずかし)められたりすることがあります。そのような時に堪(た)え忍ぶ心を持つことです。
 如来の座とは「一切法空」ということです。一切法空とは、すべてのものが「空」であるということ、すなわち一切の事物(じぶつ)に執(とら)われることなく、不惜(ふしゃく)身命(しんみょう)の精神で法を説くということです。
 天台大師は『法華文句』において、慈悲は物を覆(おお)い、恵(めぐ)みを与(あた)えるので「室」であり、柔和忍辱の心は悪を遮(さえぎ)り、己(おのれ)の醜(みにく)い煩悩(ぼんのう)を妨(さまた)ぐので「衣」であり、すべての物は空(くう)であるという境地に「座」するならば、自他ともに安(やす)んずることができると説いています。
 この弘教の三軌は、釈尊が滅後の法華経弘通(ぐずう)の法軌(ほうき)として示されたものですが、末法に御出現された大聖人は、下種折伏という仏法の根本の御化導(ごけどう)から三軌を実践されました。
 日蓮大聖人は『御義口伝(おんぎくでん)』に、
「今(いま)日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は此(こ)の三軌を一念に成就(じょうじゅ)するなり。衣とは柔和忍辱の衣、当著(とうじゃく)忍辱鎧(にんにくがい)(これ)なり。座とは不惜身命の修行なれば空座(くうざ)に居(きょ)するなり。室とは慈悲に住(じゅう)して弘むる故なり。母の子を思ふが如くなり。豈(あに)一念に三軌を具足(ぐそく)するに非(あら)ずや」 
(平成新編御書一七五〇頁)
と説かれているように、南無妙法蓮華経と題目を唱えるならば、慈悲の心と柔和忍辱の心、そして不惜身命の心が一念の中に具足して起こってくるのです。
 私たちは、この三軌具足の唱題行を不断(ふだん)に実践し、さらに実際の折伏・弘教に邁進(まいしん)していくことが肝要(かんよう)です。