みょう しん じ
妙 眞 寺
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大日蓮より抜粋 
 
 創立80周年記念法要
 十二月十五日午後二時より、東京都目黒区の妙真寺(平山信憲住職)において、同寺の創立八十周年ならびに法華講結成六十五周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、昭和八年十二月八日、東京都品川区の妙光寺第二代住職・有元日仁能化が信行閣として建立し、平山広生師が赴任。八畳一間の本堂を拠点として布教が開始された。
 昭和十五年十一月三日には、山門新築ならびに本堂改築がなされ、総本山第五十九世日亨上人の大導師により、信行閣改築法要が奉修された。
 また、昭和二十二年十二月十一日に、総本山第六十四世日昇上人より、本地山妙真寺の山号・寺号を賜って寺号公称し、同二十三年一月、平山広生師が住職に就任し、十月十八日、妙真寺法華講が結成された。
 昭和三十七年九月十六日には、現在の本堂・庫裡に改築し、総本山第六十六世日達上人の大導師により、落慶入仏法要が奉修された。
 昭和五十四年一月、平山広生師の逝去に伴って入院した僧侶が、その後、自称正信会に属し、同五十五年九月二十四日付で住職を罷免され、十月六日付で擯斥処分に付されたにもかかわらず、三十年の長きにわたり不法占拠し続けた。
 その間、早瀬義寛師(現御法主日如上人猊下)大村寿顕師(常秀院日統上人)舟橋義秀師(現東京都大田区の宝浄寺住職・東京第二布教区副宗務支院長)が妙真寺兼務住職を歴任され法華講妙真寺支部は、昭和五十五年九月二十五日より宝浄寺所属となった。
 しかるところ、平成二十二年四月十九日に元住職が死去したことにより、妙真寺の宗門復帰の念願がかない、七月二十一日に無事返還され、第三代住職として平山信憲師が赴任し、有縁の僧俗による清掃・修繕作業、本堂・客間の畳替えがなされ、八月三日に復帰奉告法要ならびに第三代住職入院式が奉修された。
 その後も、本堂庫裡の改修、仏具什器備品の新調・修繕、寺院名看板の設置、駐車場新設をはじめ、堂宇内外の改修荘厳がなされてきた。
 そして、このたびの慶事を迎えるに当たり、本堂安置の御本尊の御荘厳直し、宗祖日蓮大聖人 第二祖日興上人御影の御衣替えおよび綿帽子・数珠新調、信行閣御本尊安置御厨子の金箔張り替え、山号・寺号額の新調、仏具・什器備品の新調・修繕、客間の畳替え、トイレの改修工事等、寺域の修繕整備が講員一同をはじめ、有縁の僧俗により御供養され、同日の法要を迎えたものである。
 この法要には、土居崎日裕東京第二布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、信徒多数が参列した。
 法要は、平山信憲住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、斉藤貞雄講頭より御供養目録が奉呈されたのち、平山信憲住職より受書が授与された。
 そののち和気広房副講頭より経過報告、土居崎支院長より祝辞が述べられた。
 最後に、平山信憲住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 小憩ののち、絵本山大坊内の小畑良雄師により布教講演が行われた。
 このあと本堂において記念撮影が行われ法要の一切は滞りなく終了した。