ほう にん じ
法 忍 寺
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大日蓮より抜粋 
 
 移転新築落慶法要
 四月三十日、東京都八王子市において、法忍寺(水谷慈浄住職)の移転新築落慶法要が、御法主日如上人猊下の大導師のもと、厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、八王子市加住町二丁目に建立され、昭和四十九年七月十七日に、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと落慶入仏法要が奉修された。
 初代住職として水谷師が就任し、以来、三十八年の長きにわたり寺檀和合、寺運興隆が図られてきた。
 この間、同市の高尾墓園を維持・管理する常修寺の住職が自称正信会に与(くみ) し、宗門より擯斥処分に付されたため、昭和五十七年八月以来、水谷師が兼務住職として、常修寺の寺務と墓園管理の一切を掌握し、実務を執行してきた。
 その後、水谷師は常修寺山門前の土地を購入して常修寺事務所を建立し、平成十一年三月十九日に、前御法主日顕上人猊下の御名代である藤本日潤総監(当時)の御導師のもと入仏法要が奉修され、宮下雄鎮師が新住職として就任した。
 
  また、昭和六十一年には、創立十周年の記念事業として、本堂周辺の改築と庫裡の増築等の、境内の整備と寺院全体の改修工事が施された。
 さらに、平成三年には耐火鉄筋コンクリート二階建ての納骨堂が建立されるなど、境内の整備・拡充が図られてきた。
 そして、このたび、東京都によって建設されている新滝山街道が、法忍寺境内を全面的に通ることになり、平成十七年からの東京都との移転交渉の結果、旧法忍寺からほど近い同市加住町一丁目に、旧境内の二・五倍もの土地を購入することができ、同二十二年五月五日の起工式、昨年七月二日の上棟式を経て、このたびの慶事を迎えたものである。
 この法要には、藤本日潤重役、宗務院各部の部長・副部長、山崎慈昭大石寺理事、土居崎慈成東京第二布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、金子浩一東京第二地方部長、平栄雄総代をはじめ布教区内寺院の代表信徒多数が参列した。
 午前九時十五分、僧俗一同がお迎え申し上げるなか、御法主上人が法忍寺に到着あそばされ、直ちに寺号額、山号額の除幕をなされた。
 
  控え室に入られた御法主上人は、小憩の間もなく、能化・宗務役員、住職、僧侶、地方部長・各支部講頭、法忍寺総代・支部役員、寺族、親族、来賓の順に、親しくお目通りを許された。
 落慶法要は十時前に開始され、御法主上人の大導師のもと、水谷住職による御本尊御開扉、秋元広学渉外部長による献膳の儀、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、平総代より経過報告、秋元渉外部長、土居崎支院長より祝辞が述べられた。
 次に、水谷住職より施工業者に対して感謝状ならびに記念品の贈呈がなされた。
 最後に、水谷住職より御法主上人および参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝され、式の部は終了した。
 
  こののち、御法主上人には御尊体を客殿に運ばれ、客殿入仏法要が御法主上人の大導師のもと、水谷住職による御本尊御開扉、読経、唱題と如法に奉修され、最後に水谷住職より丁重な謝辞が述べられた。
 さらに、御法主上人には午後零時半過ぎに再び本堂に出仕あそばされ、『立正安国論』の「主人咲(え)み止(とど)めて曰(いわ)く」(御書二四二n四行目)から「源を塞(ふさ)ぎ根を裁(き)るべし」(同二四三n七行目)までの御文について、一時間十五分にわたり、甚深の御親教をあそばされた。
 そののち、御法主上人は本堂において記念撮影に臨まれたあと、駐車場において、代表者と共に「伽羅」のお手植えをなされ、三時過ぎ、僧俗一同がお見送り申し上げるなか、法忍寺をあとにされた。