きょう とく じ
教 徳 寺
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大日蓮より抜粋 
 
 移転新築・寺号公称板御本尊入仏法要
 四月十六日、栃木県小山市において、御法主日如上人猊下の大導師のもと、広布山教徳寺(旧教徳院・竹内雄慧住職)の移転新築・寺号公称板御本尊入仏法要が、厳粛かつ盛大に奉修された。
 教徳院は、創価学会問題により同市の浄円寺が宗門から離脱したため、同市喜沢の地に従来あった民家を改築し、日蓮正宗教会として開所され、平成五年九月九日、前御法主日顕上人猊下の御名代である藤本日潤総監(現重役)の御導師のもと、入仏法要が奉修された。
 そして、初代主管として重竹雄徳師が就任した。
 平成五年十一月十一日には法華講教徳院支部が結成されたが、本堂や庫裡が狭小だったことから、所属信徒は一日も早い新築と寺号公称を念願し、僧俗一致して信行に邁進してきた。
 その後、平成二十一年十二月三日に第二代主管として竹内師が就任され、さらなる寺運興隆が図られてきた。
 竹内師は就任当初より、折伏弘教に励むとともに、活動しやすい適地へと移転新築すべく、支部内に寺院移転建立委員会を発足して、建立計画が詳細に検討されてきた。
 そして、用地取得で様々な苦労を経るも、平成二十四年十二月、旧教徳院からほど近い場所に約九百五十坪の土地を取得し、同二十五年一月に登記を完了。昨年九月五日に起工式、十一月七日に上棟式が奉修された。
 そしてこのたび、かねてより念願であった移転新築・寺号公称がかない、同日の慶事を迎えたものである。
 この法要には、光久日康能化、阿部信彰布教部長、水島公正教学部長、梅屋誠岳渉外部長、宮野審道教学部副部長、田爪鏡道大石寺理事、藤田超道栃木布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、星野浩一郎法華講連合会委員長・篠田泰夫同副委員長の各法華講大講頭、水越正弘栃木地方部長をはじめ布教区内寺院の代表信徒など多数が参列した。
午前十時前、僧俗一同がお待ちするなか、御法主上人が教徳寺に到着され、直ちに寺号石碑の除幕、参道においてテープカット、山号額の除幕がなされた。
 控え室に入られた御法主上人は、小憩の間もなく、竹内師に住職の辞令を授与され、続いて僧侶、法華講大講頭・法華講連合会役員、地方部役員、布教区内の各支部代表、教徳寺信徒代表、寺族、親族、施工業者の順に、親しくお目通りを許された。
 法要は十時半前に開始され、御法主上人の大導師のもと、竹内住職による御本尊御開扉、水島教学部長による献膳の儀、読経、唱題と如法に奉修された。
 こののち、御法主上人より甚深の御指南を賜った。
 引き続き式の部に移り、楠田祐次講頭より経過報告、水島教学部長、藤田支院長、星野大講頭よりそれぞれ祝辞が述べられた。
 次に、竹内住職より施工業者に対して、感謝状と記念品が贈呈された。
 最後に、竹内住職より御法主上人および参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝され、式の部は終了した。
 そののち、御法主上人は本堂脇において、代表者と共に「伽羅(きやら)」のお手植えをされた。
 小憩ののち、午後一時前に御法主上人は再び本堂に出仕され、『立正安国論』の「夫(それ)経文顕然なり」(御書二四七n二行目)から「須(すべから)く国中の謗法を断(た)つべし」(同n一二行目)までの御文について、約一時間にわたり甚探の御説法をあそばされた。
 そののち、本堂において記念撮影に臨まれ、三時前、僧俗一同がお見送り申し上げるなか、教徳寺をあとにされた。