ちゅう しょう じ
忠 正 寺
  
大日蓮より抜粋 
 
 開創四百周年記念法要
 令和六年十月二十日午後一時から、静岡県富士宮市の忠正寺(森岡雄樹住職)において、同寺の開創四百周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、同市の本山妙蓮寺の末寺として、寛永元(一六二四)年、妙蓮寺第十六代日忠師によって開創された。
 以来、宗祖日蓮大聖人の仏法を第二祖日興上人の門流として、四百年の歳月にわたって伝え続けてきたが、嘉永七(一八五四)年の震災、明治三十(一八九七)年の出火等によって、ほとんどの史料が失われたため、上代の歴史は不明である。
 なお、同寺の本寺である妙蓮寺は、明治以降、政府の宗教統制により仏教各派の統合を強いられ、大石寺と共に明治九年二月、北山本門寺(静岡県富士宮市)、京都要法寺(京都市左京区)、保田妙本寺(千葉県鋸南町)等と、興門派(日興上人の門流)八山のうちの一つに括られた。さらに、のちに日蓮宗に合同させられるという苦難の時代が続いた。
 〔大石寺は、明治三十三年九月十八日に分離独立を果たし、日蓮宗富士派と公称。同四十五年六月七日には日蓮正宗と公称〕
 そして、戦後の昭和二十年には信教の自由の理念のもと、新たな宗教法人令が発令され、同二十五年十二月、妙蓮寺は第四十二代・赤池日運師の代に、同末寺六力寺(本妙坊・蓮光坊・本正坊・心教坊・法善寺・蓮光寺)とともに日蓮正宗に帰一した。その十年後の同三十五年八月二十一日に忠正寺第十八代・漆畑日廣師(のちの妙蓮寺第四十四代)によって、同寺も帰一を遂げた。
 昭和三十五年十二月十三日には、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと、妙蓮寺塔中の蓮光坊・心教坊および末寺の法善寺・忠正寺の御宝前が荘厳され、大石寺帰一入仏法要が奉修された。ここに忠正寺は、約三百五十年の時を経て、幾多の難問・難題を克服し、総本山大石寺に連なり、正統門流としての輝かしい第一歩を刻んだのである。
 そして、昭和四十七年十二月二十四日には日達上人の大導師のもと、本堂新築落慶入仏法要が奉修され、第十九代住職として能勢勇道師が就任した。
 その後、平成元年四月二十日に第ニ十代住職として森岡師が就任し、さらなる寺檀和合・寺運興隆を図るために、開創四百周年に向けて、御宝前・堂宇等の諸所にわたって、荘厳・修理・改善が計画され、法華講員一同の御供養により、本堂安置常住板御本尊の御荘厳直しならびに記念常住御本尊の御下付をはじめ、御宝前仏具の改修、本堂の耐震対策工事、大聖人墓所の改修、新墓地の拡張増設、駐車場整備等が行われ、同日の法要を迎えたものである。
 この法要には、海外部長の漆畑日実妙蓮寺住職、磯村如道静岡北布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、同寺の信徒等が参列した。
 記念法要に先立ち、午後一時から記念常住御本尊が奉掲されるなか、森岡住職の導師により御会式が修された。
 小憩をはさみ、二時から記念法要が森岡住職の導師により読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、吉野敦巳総代から経過報告があったのち、漆畑妙蓮寺住職から祝辞が述べられた。
 最後に、森岡住職から参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 引き続き、妙蓮寺塔中・蓮一坊住職の内藤学道師により布教講演が行われた。
 このあと、本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。