みょう   ご   じ
妙 護 寺
 
創立50周年記念法要並びに三師塔開眼法要
 十一月二十三日午前十時より、新潟県佐渡市の妙護寺(数井信悟住職)において、同寺の創立五十周年記念法要ならびに三師塔開眼法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、宗祖日蓮大聖人が今より七百四十年前の文永八(一二七一)年十一月に御流●(るたく)あそばされた縁(えにし)深い佐渡の地に、昭和三十六年十二月十七日、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと落慶入仏法要が奉修され、留守居として西沢雅道師(当時は非教師)が着任した。
 その後、昭和四十四年三月三十日に、初代住職として佐々木勲道師が就任した。そして、信徒の増加に伴い、建物が手狭になったことから、それまでの佐和田の地から現在地へ移転し、同四十八年五月二十日、日達上人の大導師のもと、移転新築落慶入仏法要が奉修された。
 その後、昭和五十二年五月六日に第二代住職として夏井育道師(現東京都江戸川区・白蓮院主管)が就任した。
 そして、昭和五十六年九月六日には、第三代住職として長谷川恭照師が赴任し、同年、同寺の創立二十周年を迎えるに当たり、納骨堂が建設された。
 また、昭和五十七年二月十六日には、前御法主日顕上人猊下の御許可を賜り、法華講妙護寺支部が結成されるとともに、本堂の拡張工事が行われた。さらに平成三年には創立三十周年を記念して山門を建立し、同十八年には境内に隣接する土地百坪を購入した。
 こののち、立正安国論正義顕揚七百五十年記念局の記念事業の一環として、平成十九年五月十六日に、御法主日如上人猊下の大導師のもとに奉修された佐渡塚原跡碑建立法要に当たり、御法主上人にお立ち寄りいただくのに合わせて、本堂内と境内地の整備を行った。
 そして、平成十九年十一月二十六日に第四代住職として数井師が就任したあと、同二十年五月二十一日に、佐渡塚原跡題目碑開眼法要のために、再び御法主上人にお立ち寄りいただくのに合わせて、山門下に寺号碑の建立と境内整備が行われ、さらなる寺檀和合、寺運興隆が図られてきた。
 そして、このたびの五十周年の慶事を迎えるに当たり、御法主上人より常住御本尊・導師御本尊を御下付賜ったほか、三師塔の建立、本堂内の音響設備工事、境内整備等が、法華講員一同の真心からの御供養によってなされた。さらに、本年度の支部折伏誓願目標も達成し、歓喜のなか、同日の法要を迎えたものである。
 この法要には、水島公正教学部長、江頭嘉道新潟布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、土屋正也新潟地方部長、本井義之総代をはじめ信徒多数が参列した。
 法要は、数井住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、本井総代より御供養目録が奉呈されたのち、渡辺伸一郎総代より経過報告、水島教学部長、江頭支院長、土屋地方部長より祝辞が述べられた。
 最後に、数井住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。


 小憩ののち、総本山塔中・妙住坊住職の田畑道権教学部主任により「命限り有り、惜しむべからず」と題して布教講演が行われた。
 続いて、本堂において記念撮影が行われたあと、三師塔開眼法要が奉修された。
 初めに、数井住職、水島教学部長、東京都町田市の妙声寺住職・数井慈鑑師によって三師塔の除幕が行われたあと、数井住職の導師により読経、唱題と如法に進められた。
 最後に、数井住職より丁重な謝辞が述べられ、法要の一切は滞りなく終了した。