く おん じ
久 遠 寺
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大日蓮より抜粋 
  
 久遠寺開創百十周年ならびに寺号公称七十年記念法要
  十一月二十六日午後一時より、横浜市南区の久遠寺(梅屋誠岳住職・渉外部長)において、同寺の開創百十周年ならびに寺号公称七十年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、明治三(一八七〇)年、東京都墨田区の常泉寺信徒と福島県会津若松市の実成寺信徒が横浜に移住し、熱心な折伏教化によって入信する人が増加の一途をたどったことに端を発している。
 明治十五年には、横浜蓮華会(国柱会)との間で行われた横浜問答において勝利した大石寺本門講の人々が中心となって、教会所設立の気運が徐々に高まり、同四十年に総本山第五十六世日応上人の開基により、横浜市日之出町に横浜教会所が設立された。
 大正三(一九一四)年には、松村柴七氏、根本兼吉氏等の侭力により、同教会所が新築され、各所で布教演説会が行われた。
 こののち、大正十二年九月一日に起きた関東大震災により建物が焼失したが、翌年三月十五日には日之出町より現在地の同市南太田町(現在の南区三春台)に移転復興し、霊松院と改称した。
 昭和二十年五月二十九日には、戦災により再び焼失したが、当時、住職であった市川真道師が御本尊をお護り申し上げた(現在、同寺客殿に安置)。
 そして、昭和二十三年十二月十一日、久遠寺と寺号公称し、翌年十一月二十三日、総本山第六十四世日昇上人の大導師のもと、久遠寺落成法要が奉修された。
 昭和三十四年十一月七日には、総本山第六十五世日淳上人の御名代である高野日深能化(妙玄院日深上人)の御導師のもと、本堂増築落慶法要が奉修された。
 その後、昭和四十九年九月四日に第二代住職として木村真昭師が就任し、老朽化した本堂を一新して、同五十一年四月八日、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと、新築落慶入仏法要が奉修され、同六十年三月四日には上永谷墓苑が開苑された。
 平成九年には創立九十周年を記念して、本堂を純和風様式に改修し、同年九月二十七日、本堂・客殿・庫裡改装記念法要が奉修された。
 また、平成十九年には創立百周年を記念して、上永谷墓苑管理棟の新築、信徒会館である霊松館の新築、客殿・庫裡の改修等が行われ、同年十二月五日、御法主日如上人猊下の大導師のもと、記念法要が盛大に奉修された。
 その後、平成二十八年三月七日に第三代住職として梅屋師が就任し、さらなる寺檀和合・寺運興隆が図られた。
 そしてこのたびの慶事に当たり、霊松館常住板御本尊の御下付をはじめ、法華講員一同の御供養により、霊松館須弥壇の新設、霊松館エレベーターの新設および本堂エレベーターの改修、本堂屋上の防水工事、本堂・客殿の防音工事、本堂・霊松館の外壁塗装、上永谷墓苑の整備が行われたほか、本堂・客殿・霊松館に椅子席が設置され、同日の法要を迎えたものである。
 この法要には、漆畑行雄海外部長をはじめ有縁の僧侶が出席。また、神奈川地方部長で法華講大講頭の関野洋夫同寺総代をはじめ信徒多数が参列した。
 法要は、梅屋住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、関野総代より経過報告、長野県軽井沢町の妙照寺住職・木村道昭師より祝辞が述べられた。
 次に、梅屋住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 引き続き、漆畑海外部長により布教講演が行われた。
 最後に、久遠寺支部鼓笛隊による演奏が行われ、慶事に花を添えた。
 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。