じ  ほう  じ
慈 法 寺
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大日蓮より抜粋 
 
 創立40周年記念法要
  四月二十日午後一時より、茨城県境町の慈法寺(田島寛応住職・茨城布教区副宗務支院長)において、同寺の創立四十周年記念法要が、厳粛かつ盛大に執り行われた。
 同寺は、昭和四十九年四月二十三日に、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと落慶入仏法要が奉修された。
 元々この地域には、江戸時代に寺院が存在したが、明治期に廃仏毀釈の影響で廃寺となっていた。しかしながら昭和の時代になって、東京都豊島区・法道院の法華講員が折伏の縁を広げ、昭和三十年ごろには法道院茨城地区として活動していた。
 その後、次第に講員の増加を見るようになり、当時、法道院の主管であった観妙院日慈上人は、時機の到来を鑑みられ、日達上人の御慈悲を賜って寺院建立を決意された。
 なお、入仏式当日の逸話(実話)として、多数の参詣信徒の姿を御覧になった日達上人が、御自身のお部屋を出られ、一般僧侶用の庭の「テント」に御尊体を移動され、控室にされるという、前代未聞の瑞事があった。
 この逸話は、初代住職を拝命した田島師をはじめ講中のなかで現在でも忘れないようにしている事柄であり、僧俗一致の大切さが語り継がれている。
 田島師は赴任以来、観妙院日慈上人の御指導を拝しつつ、寺檀和合・寺運興隆に努め、創立十周年に当たる昭和五十八年には墓地を新設し、平成二年には大石寺開創七百年を奉祝して念願の全面新築を行い、前御法主日顕上人猊下の大導師のもと落慶法要が奉修された。
 また平成三年には、観妙院日慈上人の御配慮により、法道院茨城地区の講員が慈法寺へと移籍になり、地元創価学会員の脱会者と共に支部結成式を盛大に開催した。
 さらに創立二十周年を迎えた平成六年には三師塔の開眼法要、創立二十五周年を迎えた同十一年には山門が建立された。
 田島師には、初代住職として四十年、孜々(しし)営々と僧俗和合して今日の発展を見たが、講中は、昨年の平成二十五年に、御命題である法華講員五〇%増の完遂を果たし、同日の法要を迎えた。
 このたびの慶事を迎えるに当たり、お厨子を御宮殿式に改めたのをはじめ、仏具の新調、本堂内外装工事、信徒用トイレの全面洋式化などの事業が行われた。
 この法要には、鈴木慈昭茨城布教区宗務支院長をはじめ布教区内の僧侶が出席し、四百七十余名の所属信徒が参列した。
 法要は、田島住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に執り行われた。
 引き続き式の部に移り、風見竜也副講頭のプロジェクターを使っての経過報告、鈴木支院長、蛯原一見講頭より祝辞が述べられた。
 最後に、田島住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕生八百年、また創立五十周年に向けての今後の決意が披瀝された。
 小憩ののち、茨城県取手市の法悦院主管・渡部信法師により布教講演が行われた。
 そのあと、アトラクションとしてハンドベル隊が「広布に生きる」「唱えてゆこう妙法を」演奏したのに続いて「花」「花は咲く」の二曲が川上沙月さんにより独唱され、法要に花を添えた。
 このあと山門前において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。