とく じょう じ
得 成 寺
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大日蓮より抜粋 
 
 得成寺移転新築落慶法要並びに御会式
 令和元年十一月八日、北海道網走市の得成寺(長倉正良住職)において、御法主日如上人猊下の大導師のもと、移転新築落慶法要ならびに同寺の御会式が、厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、同市北二条の地に、昭和三十四年十一月二十六日、総本山第六十五世日淳上人の御名代である高野目深重役(妙玄院日深上人)の御導師のもと、落慶入仏法要が奉修され、この日に留守居を命じられた非教師の関慈英師が、同三十八年十月五日に初代住職に就任した。
 そして、昭和三十九年十月三十一日、総本山第六十六世日達上人の大導師のもと、本堂増改築落慶ならびに板御本尊入仏法要が奉修され、同五十五年十月三十日には得成寺墓園が、同六十年十一月二十二日には北海道津別町に津別出張所が、それぞれ開設された。
 その後、信徒の増加に伴い、狭小となった本堂・庫裡を移転すべく、平成元年二月三日に網走市桂町に約千坪の土地を購入し、僧俗一致して信行に邁進してきた。
 ところが、平成七年四月八日に第二代住職として就任した者が、不行跡により、同二十一年四月に住職を免じられたが、その後も寺院を明け渡さず、不法に占拠し続けた。そのため、同年五月二十一日に第二代住職を擯斥処分に付すとともに、寺院建物等の明け渡しを求め、釧路地方裁判所網走支部に提訴した。
 そして、第三代住職として川瀬良大師(現埼玉県川口市・得法寺住職)が就任して津別出張所で活動を再開し、平成二十一年七月七日には、御法主上人の御慈悲により、同寺信徒の依所とすべく、網走市南四条に得成寺事務所が開設され、御法主上人の御名代である秋元広学渉外部長 (現秋元日高庶務部長)の御導師のもと、開所法要が奉修された。
 その後、第二代住職から寺院明け渡しの申し出があり、平成二十二年五月二十六日、同寺の建物等の一切が宗門に返還され、同年七月十三日には第四代住職として長倉師が就任した。
 以来、長倉住職の指導のもと、寺檀和合・寺運興隆が図られるなか、荒廃した旧本堂と庫裡を解体したのち、土地を売却し、かねてより念願であった移転に向けて、支部内に新築準備委員会を発足し、建立計画を詳細に検討してきた。
 そして、創立六十周年を迎えた本年、五月五日に起工式、八月三日に上棟式が奉修され、同日の慶事を迎えたものである。
 この法要には、秋元庶務部長、阿部信彰布教部長、水島公正教学部長、宮野審道教学部副部長、山崎慈昭大石寺理事、小口寛道北海道第三布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、法華講連合会委員長の星野浩一郎法華講大講頭、松永直樹北海道第三地方部長をはじめ布教区内各支部の代表信徒など多数が参列した。
 午前九時二十分、僧俗一同がお待ちするなか、御法主上人が得成寺に到着され、直ちに山号額、寺号額の除幕がなされた。
 控え室に入られた御法主上人は、小憩の間もなく、長倉住職、僧侶、法華講連合会役員・地方部役員、布教区内の各支部代表、得成寺信徒代表、寺族、親族、施工業者の順に、親しくお目通りを許された。
 法要は九時五十分に開始され、御法主上人の大導師のもと、長倉住職による御本尊御開扉、秋元庶務部長による献膳の儀、読経、唱題と如法に奉修された。
 こののち、御法主上人から甚深の御指南を賜った。
 引き続き式の部に移り、高橋茂樹総代から経過報告、秋元庶務部長、小口支院長、星野大講頭からそれぞれ祝辞が述べられた。
 次に、長倉住職から施工業者に対して、感謝状と記念品が贈呈された。
 最後に、長倉住職から御法主上人および参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝され、式の部は終了した。
  御法主上人が退座され、信徒の入れ替えが行われたあと、十一時四十五分から御会式が、御法主上人の大導師のもと、厳粛に奉修された。
 御会式は、秋元庶務部長による献膳の儀、方便品・寿量品の長行(じょうごう)の読経と如法に進められたのち、寿量品の「而説偈言」で磐(けい)が打たれ、申状(もうしじょう)捧読の儀に移った。
 初めに長倉住職が日有上人申状を捧読したのち、御法主上人が『立正安国論』を捧読された。
 続いて、小口支院長が日蓮大聖人申状を、法珠寺住職・山崎正諭師が日興上人申状を、法広寺住職・西田正増師が日目上人申状を、法眼院主管・佐藤正悌師が日道上人申状を、長円寺住職・原田良史師が日行上人申状をそれぞれ捧読した。
 さらに自我偈の読経、唱題と修され、午後一時前に御会式は終了した。
 小憩ののち、午後一時五十分過ぎに御法主上人は再び本堂に出仕され、『報恩抄』の「或人(あるひと)疑って云はく」(御書一〇〇一n一五行目)から「彼(か)の人々を信ずる輩(やから)はをそろしをそろし」(同一〇〇二n最終行)までの御文について、一時間二十分にわたり甚深の御説法をあそばされた。
 そののち本堂前において、代表者と共に「真柏(しんぱく)」のお手植えをされたあと、本堂において記念撮影に臨まれ、四時二十分、僧俗一同がお見送りするなか、得成寺をあとにされた。