| ほう りゅう じ | |
| 大日蓮より抜粋 | |
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| 令和七年五月十八日午後一時から、北海道深川市の宝竜寺(矢野法慈住職)において、同寺の創立百二十周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。 同寺は、明治二十八(一八九五)年から始まった屯田兵による当地の開拓に伴い、香川県出身の信徒の要請を受けて法華寺(現在の本山本門寺)から小笠原慈完(のちの完道)師が派遣され、深川村(現在の深川市)に同三十四年に説教所、同三十八年五月八日には教会所が設立された。 そして、明治三十八年九月に総本山第五十六世日応上人の大導師のもと、入仏式が奉修され、同年十月三十日に寺号公称した。 昭和四十年六月十三日には法華講宝竜寺支部が結成され、同四十七年には同市の都市開発計画によって現在地に移転し、第六十六世日達上人の大導師のもと、同年三月十日、移転新築落慶入仏法要が奉修された。 その後も、土地・建物の拡充ならびに整備が行われ、平成三十年四月二十日には第十三代住職として矢野師が就任し、さらなる寺檀和合・寺運興隆が図られた。 そしてこのたびの慶事に当たり、法華講員一同の御供養により本堂安置常住板御本尊の御荘厳直し、本堂御宝前の改修、本堂厨子内照明器具 の交換、寺院外壁の修復と塗装、客間用トイレの改修等が行われ、同日の法要を迎えたものである。 この法要には、梶原日経能化、荒谷正鎮北海道第二布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、田中正仁北海道第二地方部長をはじめ同寺の信徒等が参列した。 法要は、矢野住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。 引き続き式の部に移り、松橋善二総代から御供養目録が奉呈され、これに対して矢野住職から受書が授与された。 続いて、小西幹夫総代から経過報告があったのち、梶原能化・荒谷支院長からそれぞれ祝辞が述べられた。 最後に、矢野住職から参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。 小憩ののち、全国布教師で千葉県市川市の弾正寺住職・中村収道師により「活動の充実を図り誓願達成を」と題して布教講演が行われた。 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。 |