しょう きょう じ
正 教 寺
 
大日蓮より抜粋 
 
 創立七十周年記念法要
 令和七年十一月二十四日午後一時から、広島県福山市の正教寺(長谷川信達住職)において、同寺の創立七十周年記念法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、戦後間もない広島の原爆被災の惨状を目にした奥法道師(のちの同寺初代住職)が、広島・福山における布教活動を始め、その折に教化された門田キヌ氏から土地の寄進を受け、寺院建立の基とされたことが始まりである。
 その後、広島県初の本宗寺院として、昭和三十年三月十二日に「蓮興山正教寺」と寺号公称し、総本山第六十四世日昇上人から紙幅御本尊の御下付を賜り、同年十一月十三日には日昇上人の大導師のもと、入仏落慶法要が奉修された。
 さらに、昭和三十二年十一月二十三日に第六十五世日淳上人から、現本堂に安置されている常住板御本尊の御下付を賜り、日淳上人の大導師のもと入仏式が奉修された。
 そののち、境内が手狭であったことから、現在は同寺の駐車場となっている土地に移転し、昭和三十五年九月九日、第六十六世日達上人の大導師のもと、移転新築落慶法要が奉修された。
 さらに、昭和四十六年五月八日には、日達上人の 大導師のもと、本堂内陣改装ならびに御影開眼法要が奉修され、同五十八年七月十一日には法華講正教寺支部が結成された。
 本堂の老朽化に伴い、境内地裏手の山林を利用して造成した新たな土地に、創立三十周年を記念して本堂・客殿・庫裡が新築され、昭和六十三年三月五日、第六十七世日顕上人の大導師のもと、新築落慶法要が奉修された。
 そして、平成三年十二月十七日に第二代住職として片山信英師が、同二十七年十一月五日に第三代住職として長谷川師が就任した。
 以来、長谷川住職の指導のもと、さらなる寺檀和合・寺運興隆が図られてきた。
 そしてこのたびの慶事に当たり、御宝前御経箱ならびに供物台の新調、本堂の絨毯化、本堂内陣の畳替え、本堂導師座・馨の新調、本堂精霊台および塔婆台の新調、本堂・受付前・会議室の空調設備の新調、本堂前の車止めならびに参道入口看板の新設、寺号額・山号額の修復、参道入口と駐車場の舗装、二階来賓用和室の畳替え等が行われ、同日の法要を迎えたものである。
 この法要には、水島日叡総監、濱崎永行広島布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、中村千鶴広島地方部長をはじめ同寺の信徒等が参列した。
 法要は、長谷川住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、前田博光総代から御供養目録が奉呈され、これに対して長谷川住職から受書が授与された1
 次に、藤原美智夫講頭から経過報告ならびに祝辞があったのち、濱崎支院長・平野道益師(千葉県松戸市の妙広寺住職)・苅田章子氏 (広島県尾道市の善照寺支部講頭)からそれぞれ祝辞が述べられたのち、祝電が司会によって披露された。
 最後に、長谷川住職から参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 小憩ののち、本堂において 「中国広布の曙光〜正教寺建立の軌跡〜」の動画が上映された。
 引き続き、東京都小平市の広説寺住職・阿部正教師により布教講演が行われた。
 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。