こう  せん  じ
広 宣 寺
画像が欠落の場合は「更新」を押して下さい 
大日蓮より抜粋 
 
 創立130周年記念法要並びに東日本大震災復旧工事完了法要
 九月二十九日午前十一時より、福島県須賀川市の広宣寺(菊池正聞住職)において、同寺の創立百三十周年記念法要ならびに東日本大震災復旧工事完了法要が厳粛かつ盛大に奉修された。
 同寺は、明治十六(一八八三)年、開基檀那・藤田金之助氏が、私邸に三間四面の持仏堂を建て、総本山五十五世日布上人より山号・寺号を賜り、創立された(以下の寺歴は、本誌平成二〇年八月号七一nに掲載してあるので中略)。
 その後、平成十六年十二月二十八日に、第三代住職として菊池師が就任し、同二十年六月二十九日には、創立百二十五周年を記念して、本堂安置の板御本尊の御荘厳直しをはじめ、御宝前の改修等の諸事業が行われた。
 しかし、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災において、同寺は震度六強の揺れに襲われた。
 本堂は地盤沈下により傾き、三年前に塗り直した内壁と外壁が剥がれ落ちて、本堂内から外が見渡せる有り様だった。
 この状況が須賀川市より「倒壊の恐れあり」と判定されたため、本堂安置の板御本尊を納骨堂に御遷座申し上げ、庫裡の一室を仮本堂として布教活動が続けられてきた。
 一方、法華講広宣寺支部では、約百三十世帯のうち十世帯が全壊、二十七世帯が半壊となるなど、ほとんどの講員宅で大きな災害を被った。さらには、福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、県外へと避難する講員も多くいた。
 このような状況のなか、本堂の復旧工事(第一次工事)が始まった。
 工事は、宗門より賜った義援金をはじめ、有縁の僧俗からの見舞い金をもって充てられたが、見積もり概算よりも被害が甚大であったことや、高騰する工事費などにより、建物のみの復旧で終えることとなった。
 そこで、このたびの創立百三十周年を迎えるに当たり、第一次工事で復旧できなかった外構工事と、屋根の放射性物質の除染および塗り直し、芝生庭園の土を二十五a削り、コンクリートによる放射線遮蔽(しゃへい)、放射性物質を含む汚泥の浚渫(しゅんせつ)などが行われた。
 これにより、境内地の空間放射線量は低減し、信徒はより安心して参詣できる環境となった。
 この法要には、山本法光福島布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、信徒多数が参列した。
 法要は、菊池住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 引き続き式の部に移り、遠藤伸子講頭より経過報告、山本支院長より祝辞が述べられた。
 最後に、菊池住職より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。
 続いて、少年部員により「ありがとう」の歌に合わせて御礼の言葉が披露された。さらに、講員有志による「桜咲く」の合唱に合わせて、同じく少年部員より「十年後の自分へ」と題したプラカードが掲げられた。
 小憩ののち、群馬県榛東村の善成寺住職・木村信令師により布教講演が行われた。
 このあと本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。