ほん ぽう じ
本 法 寺
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大日蓮より抜粋 
 
 開創400年記念  東日本大震災復興報告法要
 九月二十八日午後一時より、福島県中島村の本法寺(鈴木経行住職)において、同寺の開創四百年記念・東日本大震災復旧復興奉告法要が執り行われた。
 同寺は、元和元(一六一五)年、開基檀那の野木対馬殿の尽力によって、総本山第十四世日主上人を開基・初代住職として開創された。
 安永八(一七七九)年九月十七日の火災によって本堂・庫裡が焼失したが、当時の僧俗の赤誠の内護・外護により、十一年後の寛政二(一七九〇)年四月七日、現本堂が再建された。
 天保二(一八三一)年と明治十七(一八八四)年には、本堂屋根の葺(ふ)き替えが行われ、現在は銅板葺きに改められている。
 この間、地域広布にも大きく進展があり、明治二十年ごろには、第五十二世日霑上人が御下向の際、一村全世帯が同寺檀信徒である明新村にて御逗留あそばされたほか、第五十六世日応上人が御登座前に、当時の寺子屋式学校であった現在の滑津小学校にて教鞭を振るわれるなど、当地域に多くの足跡を残された。このように、福島県南地区唯一の法城として、歴代住職と檀信徒により、教線拡大と寺運興隆に努めてきた。
 そして、昭和三十六年八月一日、第二十九代住職として鈴木師が赴任された。鈴木師は就任以来、異体同心の組織体制作りを目指し、当時、各地域に複数存続していた講中組織を一つにまとめ、陣野一司氏を初代講頭として、同三十九年十月二十七日、法華講本法寺支部を結成するに至った。
 また、墓地の整備、本堂東側控室の増築、庫裡客間・控室の増築などの事業を行い、さらに本年の開創四百年に向けて、修復が必要とされる箇所を調査するなど、境内地全般にわたって整備に努めてきた。
 そして、いよいよ開創四百年記念法要および同記念事業などを具体的に計画し始めた矢先の平成二十三年三月十一日、東日本大震災によって御宝蔵は全壊、墓地三師塔は倒壊、本堂・庫裡をはじめとした諸堂字、参道など境内地自体も甚大な被害を受けて、記念法要・記念事業の計画を進めること自体が困難な状況に陥った。
 そしてこのたび、御法主日如上人猊下の御慈悲を賜り、宗門の手配により全国檀信徒の其心からの義援金を受けて、新三師塔の建立、御宝蔵の移転新築、鐘楼の大改修をする運びとなった。
 また、これらの事業とは別に、檀信徒の赤誠の御供養により、被災した本堂・控室の修復、本堂サッシのガラス交換と共に、このたび二重サッシ化をして気密性を向上させ、冬の厳しい東北での寺院参詣の一助とした。
 さらに、本堂正面玄関には下駄箱の新調と階段に手すりを設置し、受付と東側玄関のクロスを張り替え、本堂入口階段にも手すりを設置したほか、震災にて地割れを起こした参道をコンクリート敷きに改め、同時に山門との段差を解消し、車椅子に対応するなどの復旧・復興事業が行われ、檀信徒の参詣利便性が向上した。
 この法要には、山本法光福島布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、野木孝夫福島地方部長をはじめ檀信徒が多数参列した。
 法要は、鈴木住職の導師により献膳、読経、唱題と如法に奉修された。
 続いて式の部に移り、円谷一郎総代により復旧・復興事業特別御供養目録が奉呈されたあと、三瓶悦雄総代より経過報告があり、次に、大阪府富田林市の善正寺住職・吉田誠善師、山本支院長、野木地方部長よりそれぞれ祝辞が述べられた。
 最後に、鈴木住職より丁重なる謝辞と今後の決意が披瀝された。
 引き続き、境内墓地において、三師塔の開眼法要が、鈴木道弘副住職の導師により奉修された。
 小憩ののち、全国布教師の岡崎法顕師(大阪市淀川区・妙栄寺住職)により「日目上人の御遺志を継ぎ、さらに広布に邁進せん」と題して布教講演が行われた。
 こののち本堂において記念撮影が行われ、法要の一切は滞りなく終了した。