ほう え じ | |
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大日蓮より抜粋 | |
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令和五年七月二十七日、福岡県大牟田市において、御法主日如上人猊下の大導師のもと、法恵寺(近藤恒道住職)の移転新築落慶法要が厳粛かつ盛大に奉修された。 同寺は、総本山第六十六世日達上人を開基として、昭和三十七年六月五日、日達上人の大導師のもと、落慶入仏法要が奉修され、のちに同県久留米市・霑妙寺住職であった大石菊寿師(常説院日法贈上人)が兼務住職として就任した。 その後、昭和三十九年九月二十五日に第二代住職として秋山慈泉師(常智院日浄上人)が就任し、同四十五年三月二十八日には庫裡が増築された。 昭和四十七年には創立十周年を記念して本堂が増築され、同年九月十六日に日達上人の大導師のもと、本堂増改築落慶法要が奉修された。 昭和五十八年六月十七日には日興上人・日目上人第六百五十回遠忌の報恩事業ならびに創立二十周年を記念して、山門・本堂・客殿・庫裡・納骨室が新築され、第六十七世日顕上人の大導師のもと、新築落慶法要が奉修された。 平成二年十二月二十四日には第三代住職として秋山堅栄師(現熊本市東区・涌徳寺住職)が就任し、同寺の発展・拡充が図られるなか、信徒の高齢化に伴い、寺院のバリアフリー化等を望む声が高まってきた。 そして、平成三十年十一月二十三日に第四代住職として近藤師が就任し、これからの寺院について様々な協議が重ねられていた最中、令和二年七月四日から七日にかけて九州をはじめ日本各地に甚大な被害をもたらした 「令和二年七月豪雨」により、同寺の納骨室が浸水した。このことが契機となり、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の報恩事業ならびに創立六十周年を記念して、移転新築することが決定された。 その後、旧法恵寺からほど近い同寺駐車場に移転新築する運びとなり、昨令和四年五月二十八日に起工式、同年十一月十九日には上棟式が奉修された。 そしてこのたび、念願であった移転新築がかない、同日の慶事を迎えたものである。 この法要には、阿部日明布教部長、漆畑日実海外部長、梅屋誠岳渉外部長、小林道剛大石寺理事補、岩城永学福岡西布教区宗務支院長をはじめ布教区内外の僧侶が出席。また、関野洋夫法華講連合会委員長、永松正直福岡西地方部長をはじめ布教区内寺院の代表信徒など多数が参列した。 午前九時十五分、僧俗一同がお待ちするなか、御法主上人が法恵寺に到着され、直ちに山号額・寺号額の除幕がなされた。 小憩の間もなく、御法主上人は控え室において、近藤住職、僧侶、法華講連合会役員、地方部役員、布教区内の各支部代表、法恵寺支部役員、寺族、親族、弁護士、業者の順に、親しくお目通りを許された。 法要は十時に開始され、御法主上人の大導師のもと、近藤住職による御本尊御開扉、漆畑海外部長による献膳の儀、読経、唱題と如法に奉修された。 こののち、御法主上人から甚深の御指南を賜った。 引き続き式の部に移り、牧嶋浩総代から経過報告、漆畑海外部長・岩城支院長・関野委員長からそれぞれ祝辞が述べられたのち、司会から祝電が披露された。 次に、近藤住職から建設・建築・仏具業者に対して、感謝状と記念品が贈呈された。 最後に、近藤住職から御法主上人および参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝され、式の部は終了した。 続いて、客殿法要が御法主上人の大導師のもと、御本尊御開扉、読経、唱題と如法に奉修された。 その後、納骨堂入仏法要が御法主上人の大導師のもと、読経、唱題と厳粛に修された。 客殿と納骨堂の法要終了後には、近藤住職から丁重な謝辞が述べられた。 こののち、御法主上人は玄関前において、代表者と共に「花水木」のお手植えをなされた。 小憩ののち、午後一時に御法主上人は再び本堂に出仕され、『報恩抄』の「像法に入って五百年」(御書一〇〇四n七行目)から「からす(烏)のごとく烏合(うごう)せり」(同一〇〇五n一六行目)までの御文について、約一時間十分にわたり甚深の御説法をなされた。 そののち、御法主上人は本堂において親しく記念撮影に臨まれ、三時十五分、僧俗一同がお見送りするなか、法恵寺をあとにされた。 |