本徳寺支部 岡元睦美さん 
 病を得て「生きる目的」知る
              ガンを克服 広布の人材をめざす
 私は、平成十五年に夫の折伏で日蓮正宗に入信しました。実家は浄土真宗で、私は宗教に興味もなく、初めて折伏されたときも抵抗感がありました。でも、夫やその家族がやっていることだから、私もやらなければいけないかなという軽い感じで入信しました。そんな入信動機ですから、休日は買い物や遊びを優先し、数カ月に一度くらい、義母に誘われやっとお寺に参詣するという状態でした。
 平成十六年からは、看護師として働き始めました。三交代制で、朝仕事に行って夕方帰宅し、その日の夜十一時半に起きて仕事へ行くなど、体力的に辛い勤務でした。また、患者さんがいつ亡くなったり急に容態が悪くなるか判らず、命に関わる仕事なので絶対に間違えられないという緊張感を常に持っているためストレスがたまり、家に帰るとイライラして夫に当たったり、家族にわがままな態度で接することが多くなりました。

辛い闘病生活始まる

 そんな生活が続く中、人生を一変する出来事に遭遇しました。それは、昨年一月何気なく受けた職場の検診で、「卵巣ガン」を告知されたのです。体の不調もなく、まさか自分がガンだなんて信じることができませんでした。頭の中が真っ白になって、これは夢なのか現実なのかと悩みました。しかし検査すると腹水が溜まって、四段階あるうちの三期。しかも末期に近い三―C期と判りました。看護師である私は、絶望的な状況であることを即座に理解できました。頭の中に「死」という言葉が大きく広がりました。
 たくさんのガン患者さんとの関わりの中で、手術や抗ガン剤治療の辛さ、苦しむ姿も見てきたので、自分のこの先が想像できるだけに、辛い治療をがんばったとしても生きられてあと数年だろう、早く死んでしまったほうが楽かなとも思いました。仕事ができなくなり迷惑ばかりかけることになるし、夫も家族も実家の家族も、私がいなければ辛い思いをすることもなかったのにと泣いてばかりいました。でも仕事を休むことができず、こんな状態でありながら患者さんと接していましたが、当然仕事にも身が入りませんでした。
 どうして自分がガンになったのか納得できずにふさぎこんでいるとき、義母に「お寺で唱題したり、御住職様に御指導いただくと気持ちも変わるし、体もよくなっていくよ」と言われ、半信半疑ながらお寺に通い、唱題するようになりました。お寺の御本尊様に手を合わせ唱題すると不思議と心が落ち着き、前向きに病気と向き合えるような気持ちになりました。
 御住職・久保田雄啓御尊師の御指導も耳に入るようになりました。御住職様は、「絶対大丈夫。ただ病気が治るように御祈念するのではなく、広宣流布のお役に立てる人材にしてくださいと真剣に御本尊様に祈っていきなさい」と指導してくださいました。また、「もっと心を込めて大きな声ではっきりと唱題しなさい」とご注意を受け、大きな声で唱題をするようになりました。さらに、もったいなくも総本山に御秘符を申請してくださいました。
 御秘符を戴き、いよいよ手術当日になりました。岡元の家族みんなが唱題しながら手術の成功を祈ってくれました。実家の家族も病院に駆けつけてくれました。お寺では、御住職様と奥様がずっと唱題していてくださったと聞きました。お陰様で、四時間に及ぶ手術は無事終了しました。
 それから辛い闘病生活が始まりました。手術直後は傷が痛く、声を出すのも辛くて泣きたい思いでした。でも泣けば傷に響きますから泣くこともできません。患者さんは、こんなにも辛い思いをしていたのかと、身に染みて感じられました。
 手術から五日後に抗ガン剤治療が始まりました。一回の抗ガン剤治療に六時間ほどかかります。じっとしているだけでも苦痛なのですが、抗ガン剤はたいへん強い薬で私の血管が耐えられずズキズキ痛み、腕が真っ赤に腫れ上がってしまいました。そんな治療を一カ月に一回、計十回行いました。
 抗ガン剤治療後、何とも言えない全身のだるさを感じ、顔・胸・膝などの関節がヒリヒリします。一回治療が終わり、痛みがやっと落ち着いてきた頃にまた次の治療が始まるといった感じで、「こんな辛い治療はもう嫌だ。この治療を止めてしまいたい」と逃げ出したい気持ちでした。
 二回目の抗ガン剤治療が終わった頃から、パラパラと髪の毛が抜け始めました。判っていたのですが、やはりショックでした。変わり果てた自分の顔を見て、やはり私はガン患者なんだと思い知らされました。それでも、絶対に病魔になんか負けたくないと決意をして、ご登山や寺院参詣には鬘を被って積極的に活動しました。
 でも、抗ガン剤治療中は辛いことばかりで、「病気になる前の私に戻りたい」と思い悩みました。友達は責任のある仕事を任せられていたり、出産したり、旅行に行ったりと幸せそうなのに、私は出産の夢も断ち切られました。「何で私だけこんな目に合わなくちゃいけないの」と、友達がうらやましくて、悔しくてしょうがありませんでした。
 そんな時、御住職様は「妙心尼御前御返事」の、
 「このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か。又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそ、おもき病とは仏はいたませ給へ」(御書 九〇〇n)
との御文を引用され、次のように御指導くださいました。「願兼於業と言って自らガンになることを望んで生まれてきたのです。結婚して病気になり、そこでこの信心に目覚め広宣流布に立ち上がることが、あなたの今世の仏法上の使命なのですから」と。それまで「なぜ私なの」と苦しんできましたが、やっと納得できました。

 ひたすら唱題・登山
 ガン細胞消滅

 気持ちの浮き沈みを繰り返し、周りの人に支えられながら、物事を前向きに考えられるようになっていきました。抗ガン剤治療中でしたが、私は昨年の百日間唱題行を一日五千遍以上唱えてがんばりました。ただただ唱題をして病魔に打ち勝ちたい、この苦しみから抜け出したい思いからでした。
 また当病平癒の御祈念と広宣流布へのお手伝いを祈って、支部総登山、添書登山など十回以上させていただくことができました。最初は、途中で具合が悪くなったらどうしようと不安もありましたが、毎回助けを借りながらのご登山でした。本徳寺支部の皆様には、本当に感謝しています。
 そして七万五千名大結集総会にも参加させていただけました。病気になる前の私だったら「暑いな、たいへんだな」としか思えなかったかもしれません。しかし、総会に参列でき、御法主日如上人猊下の御指南を直に拝することができた身の福運が有り難くて、御本尊様に心から感謝しました。
 今は、ガン細胞がすべて消えました。痛みもなく毎日元気に過ごせています。生きていること自体の有り難さを、心から実感している毎日です。
 私を生み育ててくれた両親、そして姉、妹、祖父、祖母に、今は心から感謝しています。私の大切な実家の家族ですから、この信心をして、みんなで一緒に総本山大石寺への参詣が一日も早く実現できるように、そして、みんなが幸せになれることが、私の今のたった一つの、そして最大の願いです。



 そして、誰よりも私を支えてくれた夫、岡元の父、母、二人の姉、いつもいつも支えてくれて本当にありがとうございます。岡元家の一員となれてとっても幸せです。
 御住職様は、小さなことに一喜一憂してしまう私を温かく見守ってくださり、当病平癒の御祈念をしてくださっていると聞き、本当に心強かったです。ありがとうございます。これからは、縁あるすべての人に私の体験を聞いてもらい、今の私を見てもらうことで御本尊様のすばらしさを伝え、折伏して広宣流布のお役に立っていきたいと思っています。
 私は、遊びに来た友達に下種しています。ある時、私が信心の話をすると友達が、「実は、私もお寺に通っている」と言いました。真言宗のお寺に通っているということでしたので、「そのままではいい方向には進まない。一回私の行っているお寺に来て御住職様のお話を聞いて」と勧めましたが「いろいろ勉強させてもらったから、他のお寺に行く気持ちにはなれない」と言われました。
 もう一人の友達は、お寺にお連れできましたが、「夫もいるし自分だけ違う宗教をすることは、今は難しい」と言われました。
 しかし、やればできるという確信を持ち、折伏し続けます。それが、支えてくれたすべての人に対する恩返しだと思っています。抗ガン剤治療中の私は、もう死ぬのだから何をがんばってもしょうがないと、すべてを諦めていました。でも、今はもう違います。平成二十七年・平成三十三年の御命題を、元気に活動しながら達成していきたいと思います。
 「広宣流布のお役に立てる人材になる」という「生きる目的」に気づかせていただけたことを感謝し、御法主上人猊下の御指南を根本にして、御住職様の御指導を受けながら広宣流布をめざしがんばっていきます。