法住寺支部 福島敏恵 
 平成十七年に八十五歳の生涯を閉じた父の入信から、葬儀を日蓮正宗でさせていただけた喜びと、十九年間かかった夫への折伏の話をお聞きください。
 日蓮正宗には、まず私が、昭和六十一年三月十三日に、法住寺において法華講員として入信いたしました。九カ月後には山口県に住む妹を折伏し、妹は昭和六十一年十二月に入信し、御本尊様を御下付戴きました。その後、柳井市の大栄寺の預かり信徒にしていただいておりました妹は、正式に移籍して大栄寺講中にしっかりと根を張り、信心修行に励んでおります。
 私たち姉妹は共にご登山をさせていただいた折に、前御法主日顕上人猊下の四恩に報じることの大切さの御指南を拝聴して以来、恩に報いるために何としても両親を折伏しようと誓い合っておりました。母は、私たちの折伏により平成十三年に御授戒を受け、内得信仰を始めてくれておりましたが、父は理解は示すものの、浄土真宗の強信者でとても改宗するとは思えませんでした。
 平成十六年九月、北海道で仕事をしていた兄が工事現場で転落して危篤状態と連絡を受けました。兄の大怪我の知らせに、父もどんなにか心配したでしょう。すぐに私たち姉妹が北海道に飛んで行ったのを見て、口には出しませんが喜んでくれていたようです。
 その後、父の気持ちは大きく変化し、徐々に私たち姉妹の話を聞き、考えてくれるようになりました。

父、決意の改宗

 そんな折、側に住んでいる妹の二人の子供たちが「お爺ちゃんに」と、総本山のお土産として御念珠を枕元に置いてくれたことが、大層うれしかったようです。大栄寺の御会式の前日、妹に「お寺に行く」と突然、言ったのです。驚いた妹から、「姉ちゃん、どうしよう。お爺ちゃんがお寺に行くと言っている」と電話が入りました。
 父にとって宗旨を替えることは、私たちの想像以上にたいへんだったと思います。私の実家は山口県熊毛郡平生町にあり、昔ながらの人々のつながりで生きていて親戚と近所の絆がたいへん強い田舎町です。九人兄弟の長男で跡継ぎの父は、まず八人の弟妹に宗旨替えを報告。長男の言葉に反対する声はなく、次は、先祖代々からの菩提寺に、けじめをつけるため泣きながら報告したそうです。それだけ菩提寺との関係が深い土地で、住職さんは父の堅い決意を察し、驚きながらも気持ちよく承諾してくれました。また、菩提寺の行事を中心に地域の関係も成り立っているので、近隣の方々にも報告したそうですが、皆、年老いた父の深さに感服されたそうです。
 そして十月八日、父の御授戒の日、大栄寺御住職・宇都宮広伝御尊師の御指導のもと、先祖が西本願寺から直接下賜された品々等、すべての謗法を払うことができました。また、十一月に新しい御仏壇に御本尊様をお迎えでき、先祖の戒名もすべて付け直していただきました。
 父は平成十七年の新年を迎えると直ちに、大下家の墓石を南無阿弥陀仏から妙法蓮華経に改めました。そして、側にいる二人の孫と一緒に勤行する時間を一番の楽しみにしておりました。
 この年の九月十五日、法住寺で行われている婦人部の木曜日唱題会終了後に妹から「父、危篤」の知らせが入り、御住職・近山信澄御尊師に当病平癒の御祈念をお願いして、すぐに実家に向かいました。集中治療室では既に、叔父や叔母が心配して集まって、父の周りを囲んでいました。挨拶を済ませて私たちもベッドの周りで見守っておりましたが、いても立ってもいられません。「日蓮正宗では、臨終のその時が一番大事な時なので、私たちだけで静かに御題目を唱えて見送ってあげたいから、宜しくお願いいたします」と勇気を振りしぼって言いました。叔父や叔母は、「判ったよ、じゃあ私たちは外で待っているからね」と退室してくださいました。父の弟妹の穏やかな優しさに、心から感謝いたしました。
 それから法住寺に電話して、御住職様が御不在のため執事様から御指導を受けました。「今お父さんに現れている様々なことは、自身の罪障をすべて消滅し安楽に成仏をするためなのです。罪障をきれいさっぱり出し切った時、大聖人様のお迎えがあるので、その時までしっかりと御題目を唱えてあげてください。それから、臨終にも魔が入るので、何より御題目を唱えることが大切ですよ」と判りやすく話してくださいました。
 御題目の功徳でしょう、小康状態を得ることができました。お医者様からは、「お父さんの命がこうして持っていること自体が不思議で仕方ない」と二度も三度も言われました。その日から、私が病院に泊まり込んで、付き添うことにいたしました。担当医と看護師長に「日蓮正宗の信仰をしているので付き添っている間、御題目を唱えさせてください」と了解を得て、父の側で唱えられるだけの御題目を唱えました。十七日の早朝には、夫と二人の娘も車で駆けつけ、父は孫たちに両手を握られ、みんなで唱える御題目に心から喜んで、目を細くして穏やかに笑っていました。
 総本山寛師会に私も妹も、それぞれ子供たちと申し込んでいたのでどうしたものかと話し合っていると、父が「今生最後の御供養になると思うから、どうか総本山に届けて欲しい」と懇願しました。この父の気持ちに応えるため、三人の孫が父の御供養を携えてご登山いたしました。
 十九日、今日が峠と言われ、急いで下山してきた子供たちと家族一同唱題しながら、誰もが「今が臨終」との思いで、父の成仏を願いながら唱題いたしました。
すると突然、父がパッと目を開けて「なかなか死ねんもんじゃのお」と言い、皆の緊張が一瞬に解けたりもしました。
 そんな父も危篤の知らせから二十三日後の十月八日、午前一時二十三分に家族の唱題の中、大聖人様のもとへ安祥として旅立って行きました。お通夜の晩は夜が明けるまで、孫たちがお爺ちゃんの成仏を心から願い、途切れることのない唱題を共にやり切りました。時折、棺の顔を覗きながら「お爺ちゃんの目が光って笑っている」と、それぞれが成仏の顔を胸に焼き付けておりました。父は孫たちの心に、唱題をして送ることの大切さを刻んでくれたと確信いたします。入信わずか十一カ月の父でしたが、御秘符を戴けたことや出棺の際に多くの大栄寺講中の方々に御題目で見送っていただけたことは、悲しみを喜びに変えていただき、歓喜さえ憶えました。父を通して得た様々な喜びと確信は、夫の理解と協力に加えて、子供たちの助けがあればこそと、主人と二人の娘に心から感謝しております。

主人の入信

 さて、次は夫への折伏の喜びをお話させていただきます。
 二人の娘たちも鼓笛隊を卒隊し、私たち親子三人は信心で繋がっています。その堅い絆に、主人は何かを感じていたとは思いますが、どうしても一緒に信心するとは言ってくれませんでした。しかし、父の葬儀での子供たちの姿を見て、日蓮正宗の信仰が主人の中で違和感がなくなったのは事実です。
 昨年五月三十一日、私の身に驚くべきことが起こりました。仕事に出かける身支度をしておりますと、右胸のトップが白く光っているのです。とっさに、二人の叔母が乳ガンの手術を受けていることを思い出し、不安を感じながら力を入れて搾ると、膿の混ざった血が出てきました。
 乳腺外来は予約制で、当日の受診は受け付けていないと断られましたが、事情を説明するとキャンセルがあるのでと、夕方に受診できました。マンモグラフィーは身をちぎられるほどの痛みでした。医師からは「断定できないが、乳ガンと思われるものが三カ所にある」と言われ、ある程度の覚悟はしていたものの、すべてを聞き取り理解するのには少々時間が必要でした。それでも不思議と、自分の命の心配などしませんでした。
「主人を折伏させていただこう」と、これをチャンスと受け止めようとの熱い思いが込み上げ、御本尊様は絶対に夫を折伏させてくださる、折伏できるという確信を持ち、感謝の思いが涌き上がってまいりました。
 その夜、主人と娘に報告しました。娘は驚き動揺していましたが、「大丈夫、御本尊様がついていてくださるんやから」と言うと、少しは安心してくれたようです。夫には、手術になるだろうから、既に始まっている夏期講習会に参加したいと伝えましたら、動揺を隠せないまま、承諾してくれました。
 ガンの告知から三日後、夏期講習会に参加し、御開扉が叶いました。当病平癒と主人の折伏のチャンスを戴けた感謝、そして必ず折伏を成就させていただくことを本門戒壇の大御本尊様にお約束いたしました。
 それから九日後の六月十三日、法住寺の御報恩御講に参詣した日の夕食後、突然夫の口から「私も日蓮正宗の信心をする」と告げられたのです。十九年間、家族四人で信心できることを願い、二人の娘は父親とご登山が叶う日を願ってまいりました。長男である夫の宗旨替えの宣告は、たちまち義姉弟の強い反対と私への罵倒という形で強烈に現れました。その中、終始一貫して夫は、「敏恵の病気を治してやりたいから、日蓮正宗に改宗する」と同じ言葉を繰り返していました。そして私の父がしたように、真言宗のお寺へ宗旨替えの報告をし、我が家の一切の謗法を払い、七月十七日には晴れ晴れとした気持ちで御授戒を受けることができました。
 講頭さんをはじめ、婦人部長、そして夫の入信を喜んでくださる大勢の方が駆けつけてくださり、たくさんの方から祝福を受け、結婚式よりもはるかに幸せを感じました。ある婦人部の方はお赤飯を炊いてきてくださり、まだ暖かいそのお赤飯の温もりに胸が熱くなり、思わず涙いたしました。


 私の入院の日がまいりました。入院前に、どうしてもお寺の御本尊様を主人と共に拝したくて、二人でお寺で唱題してから病院に向かいました。私は、手術への不安も怯えも全くありませんでした。手術は無事に終わり、術後の痛みもほとんどなく、四日間で退院できました。
 二週間後、組織検査の結果が出ました。当日は、「どのような結果であろうとも、御本尊様への信は貫きます」と決意して、医師の前に座りました。しかし、医師の口から「何もなかった」と、あまりにもあっさりとした説明を受け、三カ月間の様々な出来事と思いが交錯いたしました。同時に、御本尊様の御力と、戴いた御利益の大きさに言葉に尽くせない感動が涌き上がってまいりました。そして、私の病気を治してやりたいとの一心で入信を決意してくれた夫に、心から感謝いたしました。
 しかし、夫の信心を試される新たな試練が待ち受けておりました。三十七年間、無遅刻、無欠勤で勤めてきた夫の会社が倒産しました。製版業界の仕事でしたので、時代の流れには逆らえません。御授戒を受けて以来、朝夕の短い唱題は生活の一部となり毎日欠かすことなくしていた主人でしたが、この日を境に、さらに朝夕の勤行を一文一句噛み締めるように、時間をかけてするようになりました。
 十一月十一日に主人は初めてご登山いたしました。早朝から降り始め着山しても止むことなく続いた雨が、今まで私たち夫婦が積んできた罪障を洗い流してくれる雨に思えました。御開扉では、御法主日如上人猊下のお経に唱和させていただいている主人の声が聞こえ、時折、目頭を押さえる仕草が伝わってきます。夫婦で大御本尊様の前に並んで座る日がやっとまいりました。
 主人は二度目のご登山もさせていただき、その翌日に新しい職場も決まりました。私も『立正安国論』正義顕揚七百五十年という今しかできない「特別御供養」をさせていただける喜びと使命を感じ、フルタイムのパートで働いております。長女の佳子は看護学生になり、総本山整理班の任務もさせていただくことになりました。次女の佑子は高校二年生になり、幼い頃からの喘息も完治し、高校生活を楽しんでおります。
 一家和楽の信心が現実のものとなった今、これまで以上に主人を大切にし、また、よき母として「地涌倍増」と「大結集」の御命題達成のために、外に向かって新たな折伏をしてまいります。御住職様の御指導を素直に受け切って、確信の持てる歓喜に満ちた信心のため、今以上の信行に励んでまいることをお誓い申し上げ、体験発表とさせていただきます。