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本種寺支部 斉藤英子 |
皆さんこんにちは。本種寺支部の斉藤英子と申します。 私は昭和五十二年一月二日に入信し、今年で三十年になります。この間、様々な信仰体験をして参りましたが、本日はガンを克服したことと折伏成就の体験を述べさせていただきます。 私は現在、主婦業に専念しておりますが、以前は介護の仕事をしていました。介護という仕事柄、夜勤も多く力仕事でもあったため定期的に、整形外科に通い疲労回復を図っていました。平成十六年六月職場において行なわれた健康診断で、高脂血症、肥満、心臓肥大、肝機能障害等の検診結果が出ました。この時の私は、これらの検診結果や常日頃から続いている肩・腰・膝等の痛みは、更年期障害の現れであり、肉体疲労からくる諸症状であると思い込んでおり、何も疑うことなく、処方される薬を飲み続け整形外科に通いました。 それでも日に日に体調が悪くなるばかりで、貧血も起こるようになりお腹も膨れてきたため、内科医院に行きました。しかし、ここでの治療も全く効果がありませんでした。そして数日後にはお腹が、急激に風船のように膨れ上がり、破裂するかと思うほど息苦しく、身動きが取れない状態になってしまいました。内科医に行った際に医師より、「婦人科でも診察してもらう必要があるかもしれません」と言われていたので婦人科へ行くことにしました。そこで検査を行なったところ、卵巣に異常があり、お腹の膨れは腹水であることがわかりました。それは同年十一月のことです。緊急を要すると、医師より言われ急遽、埼玉医大に搬送され入院し、精密検査を行なうことになりました。 初診では、ガン性腹膜炎の可能性が高いと言われましたが、合計八リットルもの腹水を抜いたおかげで、体がとても楽になったので、ガンが原因で腹膜炎を起こし腹水がたまっているとは考えもしませんでした。検査入院をしてから一週間後、精密検査の結果、卵巣ガンであることが判明しました。進行状況は、ステージ3のC期、末期ガンの一歩手前でした。その事実に愕然としましたが、御本尊様に祈っていくしか術はありませんので、唱題行に取り組みました。私は入院しておりましたので、朝夕の勤行唱題はお守り御本尊様にて行ないました。 今後の治療方法の説明が主治医よりなされ、まずは卵巣と子宮の摘出手術を行なうこととなりました。同年十一月十九日の手術にあたり御秘符を下付していただき、絶対に治るという確信のもと、手術に臨むことができました。しかし、手術は開腹をしただけで、終ってしまいました。というのも事前のMRI等の検査では、明らかにならなかった腹膜内の様子が、目視したところによると、卵巣ガンが腹膜に転移しており、ガン細胞が腹膜内全体に砂を撒いたように散らばり、その表面はサンドペーパーのようにザラザラな状態で炎症を起こし赤くなっており、腹膜、小腸、大腸、卵巣、子宮が癒着し、剥がすことができない状態となっていたからです。 このような状態でしたので、次なる治療方法は抗ガン剤治療しかありませんでした。主治医によると抗ガン剤治療といっても、組み合わせは何通りもあり効く可能性は50パーセント、またよく効いたとしても五年間生きられる確率は20パーセントとのことでした。完治は難しいと告げられ、病棟内では私が最も重症な患者でしたが、御本尊様への確信があったため、他の入院患者や看護師から「何でそんなに落ち着いていられるの。何で明るく振る舞えるの」等の疑問も投げかけられるほど気持ちは落ち着いておりました。 同年十二月抗ガン剤治療が始まりました。一回目の投与から、その副作用は激しく、吐き気、間接の痛み、手足の痺れに襲われ、髪の毛はすべて抜け落ちました。さらには味覚にも変化が生じ、水でさえも鉄の味になってしまいました。当初は抗ガン剤治療を六回行なう予定でしたが、四回目で一気に効果が現れました。この時点で、抗ガン剤の副作用により体重は、十三キロも落ちてしまいましたが、平成十七年四月、再び御秘符をいただき二回目の手術にのぞむこととなりました。二回目の手術では、抗ガン剤の効果が現われているとはいえ、癒着しているところを剥がしながらの手術となるため、臓器の損傷を伴うことから、人工肛門となる可能性が高いと言われておりました。 術後、主治医の話によると、ガンが転移していた腹膜は以前の砂を撒いたようなザラザラな状態から打って変わってツルツルになっており、ピンク色の正常な状態で、癒着していた臓器も元に戻っていたとのことでした。そのため、心配されていた臓器の損傷もなく、病巣である、卵巣をはじめとする臓器の摘出手術を行なうことができました。六時間にもおよぶ手術でしたが、無事成功に終りました。また、目視できる範囲のガンは全てなくなっており、後は、病理検査をして、どの程度ガン細胞が残っているかによって今後の抗ガン剤治療を決めましょうとのことでした。 手術を終えてから二週間後、病理検査の結果が出ました。ガン細胞は全て死滅しており、抗ガン剤治療はしなくていいとの結果でした。完治は難しいと言われていましたが、ここにガンという病を克服することができました。また手術後十日で退院するに至るほどのスピード快復となりました。 「妙とは蘇生の義なり」(法華題目抄・御書三六〇)との 御文を感じた瞬間でした。退院後は、自宅療養と御本尊様への感謝の唱題にはげみました。御題目を唱えていくなかで、次第に折伏を成就したいという気持ちが強くなってまいりました。知らないお宅へ行き信心の話をすることには、抵抗感はあったものの、「ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶ふべからず」(四条金吾殿御返事・御喜一四〇八)との御金言を胸に、体力も回復した平成十八年八月より、小冊子等を持って、近所を回る折伏行を開始しました。過に一度、四十〜五十軒ほど回っております。実際にお話ができるお宅は一割程度ではありますが、今後も続けて参ります。 そんななか、平成十九年三月十五日、買い物に出かけた際、近所に足を引きずりながら自転車を押して歩いているご婦人がいました。あまりにも辛そうに歩いていたので、「荷物を運ぶの手伝いましょうか?」と声をかけました。すると、「いまどき珍しいですね、私は綱りん子といいます」と自己紹介をしてきたので、こちらも名乗り、お互いの紹介後手を添える形で綱さん宅にお邪魔すると、ピンク色の仏壇が安置してあることに驚きました。話を開くと創価学会員であることが分かり、その場で破折を開始しました。こセ本尊であること、破門され血脈がないこと等の話を懇々とし、ついには創価学会の誤りに気づき脱会を決意されるに至りました。その後、同月十九日に、佐藤公妙御住職の御指導に従いニセ本尊とともに脱会届けを創価学会本部に送り、本種寺にて勧誡式、御本尊下付を頂くことができました。出会ってから折伏成就まで、たった四日間の出来事でありました。現在も創価学会は綱さんを引き戻そうとしています。今後も様々な妨害が考えられますが、ひるむことなく邁進してまいります。 余談ではありますが、家族の話をさせていただきますと、私がガンを克服したことも手伝って、私の娘も平成十八年七月、高校時代の友人を折伏することができました。彼女は、私の闘病の様子を見守っていたことがきっかけとなり、私も信心をして変わりたいと入信しました。また息子は、とある有名企業からヘッドハンティングされ入社するに至り、自分の能力をフルに発揮できる環境におり、その環境のなか、信心修行に励んでおります。義母は九十七歳になりますが、九十歳を過ぎて三度の骨折をし、二度の手術も経ましたが、日常生活に困難なく自立歩行できております。 主人は今年、副地区長に任命され支部活動に励んでおります。家族全員力を合わせて、平成二十一年の地涌倍増、大結集の御命題の達成に向けて、一人でも多くの方々を折伏できるように、更なる精進に励んで参りますことをお誓いして、体験発表とさせていただきます。 |