仏境寺支部 宇野由美子 
 私の入信は昭和三十四年三月二十一日でした。動機は病弱な母の見違えるような変化です。
 母は体が弱く一カ月の間で元気なのは一週間くらいでした。あとは毎日ろくに食事もできず、痛み止めの注射を打って寝ているだけの生活が数年続き、近くの寺や神社、祈祷師と、いろいろ拝みましたが、全くよくなりませんでした。
 このようなとき、大聖人様の仏法に出会ったのです。何の迷いもなく母は昭和三十年に入信し、指導通りに勤行・唱題・折伏活動にと毎日、信心中心の生活を続けました。
 ある日、私は母がすっかり元気になっていることに気がつき、この信心には何かある、幸せになれるかも知れないと思い、入信を決意したのです。それからは御本尊様に守られ、いろいろな問題があるたびに二時間、三時間と唱題をして、その都度乗り越えて御本尊様への絶対なる確信を持ち、四十数年が経ちました。

「ガン」と診断されて

 そんな私が体に異常を感じたのは平成十三年十月のことでした。尿に血が混じっているような気がして近所の医院で診察を受けた結果、膀胱炎とのことでした。薬をもらい服用したところ、すぐに血尿は治まりました。その七カ月後と十カ月後に同じ症状が出ました。疲れからだろうと思い、あまり気にしませんでした。
 ところが平成十四年九月に入ったある日、会社で仕事中に尿意をもよおしトイレに行ったところ、突然大量の血尿で便器一面真っ赤になりました。びっくりして鈴鹿中央総合病院に行き、CT、大腸検査をしたところ、医者から「こんなに大きな影は見たことはない。私は三十年以上医者をしているが、あまりに大き過ぎて、どこの箇所が悪いのか判らない」と言われ、恐らくガンであろうとの診断でした。そして「この病院では手術はできない。大学病院に行きなさい」と言われました。
 私は大きな不安の中、三重大学病院に行きました。そして数々の検査の結果、はっきりとガンと診断されました。「非常に珍しいケースだから、ぜひともビデオに撮らせてください」と言われ、撮影を承諾しました。ファイバースコープで二十五分ぐらいの撮影でした。私もモニターを見ましたが、膀胱の中にガンが点々と出来ていて、尿の中に白くふわふわと浮かんでいるのはガン細胞とのことです。膀胱内壁にも五センチぐらいのガンが見えます。盲腸に出来たガンが卵巣から結腸・右側のリンパ節・膀胱・左側の大腸へと広がって大きな塊になり、お腹いっぱいに広がっています。早速手術ということになりました。
 場所の特定もできなかったため、外科・婦人科・泌尿器科の医者が二人ずつ付き、麻酔科の医者と合わせて合計八名による手術体制ということです。「症状が進行しており、宇野さんが手術に耐えられる時間は十二、十三時間くらいです。十二時間くらいかけて悪い所を目いっぱい取ります。それでもガンが残りますからいったん閉じて、抗ガン剤投与でガンを小さくしてから再度手術をしましょう」と言われました。このときはお腹が張っていて、歩くのも辛い状態でした。
 御住職・原道準御尊師にお話し、御秘符を下付していただき、数日の間、一日に四、五時間の御題目を唱ました。すると、張っていたお腹が健康なときのように治まりました。しかし、手術が近づくにつれて強烈な恐怖が襲ってきます。大聖人様が『佐渡御書』に、
「世間に人の恐るゝ者は、火災の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜しむ、況んや人身をや。癩人猶命を惜しむ、何に況んや壮人をや」(御書 五七八n)
と仰せの通りで、健康な時は死ということに無頓着でしたが、いざその立場になってみると、死への恐怖は尋常ではありません。手術の日まで、眠っているときを除いて四六時中、御題目を唱えました。御住職よりいただいた二度目の御秘符も御題目を唱えながらいただきました。
 そして「御本尊様がついてくださっている」と自分に言い聞かせながら手術を迎えました。右側の上行結腸四〇センチ、虫垂、卵巣は全部、左側の大腸の一部、膀胱を二分の一、右側のリンパ節を四〇センチ切除しました。手術は五時間で終わりました。術前の説明と違うので、思ったより簡単に取れたのだと思いました。傷口の痛みは全くありませんでした。これは不思議です。先生が不思議がって「本当に痛くないのですか」と何度も聞くほどでした。
 
肚を据えて唱題

 手術後十二日目の平成十四年十二月二十九日に退院しました。御本尊様に御報告し、折伏をしてお礼させてくださいと真剣に唱題を重ねました。
 年が明けて平成十五年一月十日のことです。以前から「大白法」等を入れていた近所の学会員である川端さんから電話があり、お寺に行きたいと言ってきました。早速、一月十二日に勧誠式を済ませました。さらに、その川端さんが、妹さんを折伏して入信させることができました。
 退院後の私の治療は、三重大の教授の指導のもと、鈴鹿市内の病院で行いました。初めは「UF5」という抗ガン剤を授与されましたが採血して検査した結果、ガンマーカーの数値がどんどん上がっていきます。このままではだめなので、少し強い薬でガン細胞を叩いておこうということになり、入院して別の抗ガン剤を、普通の人は一五〇から二〇〇ミリグラム打つところを八〇ミリグラム打ちました。強烈な副作用で吐き気と下痢が続き、白血球も二四〇〇個まで下がりました。白血球を増やすため免疫増強剤を注射しましたが、一カ月経っても戻りません。そのため、この治療は三回で中止しました。その後いろいろと薬を変えましたが、どれも強烈な副作用です。この状態で一年が過ぎました。
 平成十六年一月より一日三時間の唱題を始めました。体の中でガンが強烈な勢いで増殖している証拠にガンマーカーの数値が倍以上に上昇し、これまでの信心では駄目なのだと肚を据えて御題目を唱えようと決意したのです。三月に入ってもう一度薬を変えて治療をしようということになり、入院の支度をして病院に行きました。そこで血液検査をしたところ、ガンマーカーの数値が少し下がっています。様子を見ることになり治療を中止しました。マーカー値は四月、五月と下がり、平均値まで下がりました。一日三時間の御題目を唱えて三カ月目のことです。



御本尊様に守られた命


 平成十六年八月頃、教授が「あなたはラッキーな人だ。不思議な人だ、変わった人だ、本当は今頃一周忌だった」と言うのです。私はこの時、手術が五時間で済んだことを、ガン細胞が全部取れたと思い込んでいたのが間違いであったと気づきました。「今頃一周忌だ」というのは「治らないで死ぬ」という意味で、逆算すると、手術後の私の余命は一年なかったことになるのです。
 教授は患者に歯に衣を着せずズバズバ言います。「私は二十年以上で一万人以上のガン患者を治療しているが、あなたのように薬の使えない人は今まで二、三人しかいない。一人が抗ガン剤の打ち過ぎで薬が使えなくなった人、それとあなたのように副作用がひどく、その上ガンを殺す免疫の白血球が増えない人だ。治療も上・中・下とあれば、あなたは下の下の下の治療しかできない。あなたのガンは必ず再発する。その場所は膀胱だ」と常々言っていました。そして、「心を癒すガン患者の集いがあるから参加するように」と何度も言われました。
 あるとき、大学院の学生だと思いますが、「アンケートを採らせてください」とやってきました。質問の中で、「あなたは信仰していますか?」「あなたは仏様を信じますか?」「信じているなら毎日お勤めをしていますか?」という内容がありました。私は「信じていますし、お勤めを毎日しています」と答えました。私が末期ガンになり、副作用のためにまともな治療もできなかったのは、ある意味仏様の御導きだったのかも知れません。余命わずかだったのに御本尊様に守られ、御住職に導かれて、教授が不思議な人だと言うように、ろくに薬も使わずにガンが治ってしまったのです。
 『妙心尼御前御返事』に
「病あれば死ぬべしといふ事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か」(同 九〇〇n)
とございます。
 もし生半可副作用に耐えられて、抗ガン剤を大量に授与され続けていたらと思うと、身震いを感じます。
 平成十七年九月、三重大に一ミリぐらいのガン細胞も発見できる、PET−CTという機械が入りました。撮影の結果どこにもガン細胞はなく、「完全に治りましたね」と言われました。私はうれしさのあまり「御本尊様、原御住職、先生、ありがとう」と何回も繰り返していました。一日三時間の唱題は、現在まで一日も欠かさず続いております。
「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし」(同一四〇七n)
この御金一言は私の一番好きな御文です。今は『立正安国諭』正義顕揚七百五十年に向かって、折伏にがんばっております。
 ガンを治していただいたお礼に、今回も唱題を重ねて祈っておりました。先日、以前より下種していた近所の学会員の岩津さんがお寺に行きたいと言ってきました。そして、三月二十一日、勧誠式を済ませました。折伏を成就できたのは、いずれのときも真剣な御題目によるものと感じております。
 私は、御本尊様に守られて生還しました。人生二度目の命を授けていただきました。これからは命の続く限り、御本尊様、御住職に感謝し、広宣流布のため、護法のために尽くしていくことをお誓い申し上げ、体験発表を終わらせていただきます。