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浄願寺支部 執印宣夫 |
私は、平成三年四月一日に創価学会を妻と共に脱会して、浄願寺の直属信徒となり、その年の十二月の法華講支部結成と同時に法華講員となりました。 平成八年、私は、ウイルスによるC型肝炎に冒されていることを知り、以来治療を続けてきました。C型肝炎は肝硬変へ、さらにガンへと進行していく病気です。 いよいよ宗旨建立七百五十年の大佳節を迎えた平成十四年春頃より、私は体調を崩し、病院通いの毎日でした。四月二十四日にかかりつけの病院で検査を受けたところ、医師よりCT検査を受けるよう言われ、翌日、出水市立病院で受診しました。検査後、CT写真を持ち帰り、かかりつけの医師の説明を受けたところ、腫瘍ができていると言われました。そして、鹿児島の南風病院へ紹介状を書いてもらいました。CT写真には、素人目にも判るほどの大きな陰があり、それも半分くらい肝臓の外に飛び出していて、今にも破裂しそうに見えました。 翌二十六日、御住職・郷道輝御尊師にCT写真をお見せして、御秘符をお願いしましたところ、「明日登山しますので、そのとき御法主上人猊下に直接御祈念をお願いして来ますから、三、四日待ってもらえますか」とのまことに有り難いお言葉をいただきました。そして三十日、御住職様に当病平癒の御祈念をお願いし、御秘符を頂戴しました。 翌五月一日、長男の車で南風病院へ行き、検査を受けました。午後、医師より、症状は相当に悪く、連休明けの五月九日に入院するよう言われ、さらに手術の説明を受けました。説明によると、「太ももの動脈からカテーテルを腫瘍まで入れ、薬を注入する方法しかないが、腫瘍が九センチほどもあり、半分は肝臓の外に飛び出しているので、薬を注入するときに破裂する危険がある。破裂した場合は切開手術に切り替えるが、いずれにせよ九時間くらいかかる大手術となり、助かる可能性は五十パーセントくらいです」とのことでした。 翌日お寺に行き、御住職様に御報告申し上げ、さらに入院を三日後に控えた日、再び御住職様にお願いして、手術成功の御祈念をしていただけました。 予定通り九日に入院、検査を受けて、手術は十五日と決まり、いよいよ手術室に向かうときは、我ながら不思議にも冷静で、手術は絶対成功すると確信していました。手術台に乗り、局部麻酔が打たれたとき、初診説明で聞いたことを思い出し、今が一番大事な時なのだ、と心の中で一生懸命に御題目を唱えました。 長いときが過ぎ、医師から「手術は終わったよ」と言われたときは、思わず心の中で「破裂しないで助かったんだ。御本尊様、ありがとうございました」と叫びました。しかし、翌日からがたいへんでした。高熱が日に何度となく出て、食事も喉を通らない日が一週間続きました。ようやく食事がとれるようになった二十二日の夕方、御住職様がお見舞いに来てくださいました。思いがけないお見舞いに、勇気百倍、元気づけられました。 二十四日に経過説明があり、長男と次男、妻と次男の嫁と五人で説明を受けました。「本命の腫瘍の半分が肝臓から飛び出していて、薬をすべて注入すると破裂の危険があったので、予定の半分しか入れられなかった。昨日のCT検査では七センチくらいになってはいるが、今後どの程度薬が効くかは判らない。月末に退院して様子を見よう」とのことでした。 後から判ったことですが、この説明の後、長男と次男が医師に呼ばれ、「本当は腫瘍ではなくガンです。余命三カ月から六カ月。これ以上病院でできることはないから、家に帰って好きなことをさせてあげなさい」というものだったそうです。 退院後も毎日一、二回の発熱が続きましたが、退院三日後、お寺に伺い、御住職様にお礼を申し上げ、経過を報告させていただきました。そして、七月の予定だった三十万総登山は、私の体力がもたなくなることを心配して、一日も早い登山をお願いして急遽六月二十三日の、支部での第一回目の御登山に加えていただくことができました。毎日熱が出て、歩行も思うにまかせないので、車イスでの御登山になるとの覚悟をしていましたが、不思議にも御登山の一週間前から発熱が治まり、歩いて御登山できるようにと、田んぼの周りでウォーキングを始めました。 六月十七日、生命保険に提出する証明書が病院から届き、開けてみて愕然としました。病名の欄には「肝ガン」、そして「本人非通知」と記載されていたのです。事実を知って、その日の夕勤行と次の日と三回ほど、勤行しながらボロボロ涙を流してしまいました。 六月二十一日、車イスに乗ることなく浄願寺を出発できました。宿坊では、万一のことを考えて、妻は特別に私と同じ部屋に入れてもらいました。妻に止められた丑寅勤行にも参加させていただき、御報恩謝徳と、広宣流布のお手伝いをお誓い申し上げました。翌日の御開扉は「今世で最後の御開扉になる」との覚悟で本門戒壇の大御本尊様に御目通りさせていただきました。御開扉中、涙が流れるだろうと思っていましたが、涙は出ず、不思議と「奉安堂での御内拝が叶うまでは絶対死なない」とお誓い申し上げていました。続く記念大法要では行道散華のお華を三枚もいただくことができ、本当にすばらしい御登山でありました。 私たちのもともとの御登山予定だった七月二十七日出発分は、私は無理だろうと思いキャンセルしていましたが、六月の御登山後は嘘のように元気になっていたので、改めて申込みをしました。私と妻、次男一家五人と、孫二人(長男、長女の子供各一人ずつ)の親族九名で参加させていただくことになりました。長男と長女は勧誡を受けておらず、その子供たちは未入信でしたので、御住職様にお願いして、この孫二人の御授戒を受けさせていただき御登山に備えました。 七月二十五日は退院後初めてのCT検査の日で、ガンが三センチくらいに小さくなっているとのことでした。三十万総登山参詣の功徳であると、驚きと感激で一杯で、翌日早速、御住職様に御報告に伺いました。 この頃、立て続けに台風九号と十一号が九州に接近中で、飛行機や船舶の欠航が相次いでいました。登山出発の二十七日、天候を気にしながらの出発となりましたが、予定通り着山できました。しかし、その夜、私の班の人がたいへんなトラブルを起こし、一睡もすることができませんでした。御開扉のときは、トラブルを起こした人のことや、ガンのこと、孫たちや家族のことを真剣に御祈念申し上げました。記念法要ではまたお華を三枚いただき、前回と同じ枚数に不思議さと福徳を強く感じました。しかし、トラブルのことを思うと、心の重い下山となりました。空港には御住職様が迎えに来てくださっていました。出口でうなだれて頭を下げる私に、「執印さん、また 一つ罪障消滅ができましたね」と笑顔で言われました。御住職様の優しいお心遣いを感じました。下山の翌々日、トラブルは大御本尊様の御威光に守られて無事に解決いたしました。 その後、八月に入ってから、長女が勧誡を受けたいと言ってきました。早速御住職様にお願いし、長女は勧誡を、長女の子で一人未入信のまま残っていた孫一人が御授戒を受けることができました。長年の願いが叶い、本当にうれしいことでした。 そして迎えた十月、待ちに待った奉安堂落慶記念大法要の第三会の十四日、奉安堂に御遷座された本門戒壇の大御本尊様に、元気に御目通りさせていただくことができました。私は今まで、涙が出て止まらないという体験はありませんでしたが、このときは、恥ずかしいほど涙がボロボロと頬をつたいました。 ![]() 十月二十八日、退院後二回目のCT検査では、ガンが前回よりさらに小さくなり三センチ以下と言われました。三十万総登山と奉安堂落慶の大法要参詣の功徳と福徳を、我が身をもって実感しました。 十一月に入ると、学会員の子供に無理に脱講させられ学会に入った宝塚の身内が死亡したとの知らせを受け、十二月には子供の頃より親しかった、出水市の草創の学会幹部が肺ガンで死亡しました。明けて平成十五年一月早々には、大阪の身内でバリバリの学会大幹部が脳梗塞で倒れ、半年も意識不明のまま死亡しました。大幹部だったこともあって盛大な学会葬でしたが、お通夜のときに私と妻は「学会は間違っている。この本尊も『ニセ本尊』だ」と破折しました。 葬式の後、大阪にいる妻の母を折伏、入信を決意させることができました。電話で御住職様に御報告申し上げ、御指導をいただいて、東大阪の調御寺様にて御授戒を受けさせていただけました。 二月には、十一月に死亡した宝塚の身内の子供が胃ガンで死亡しました。この人は、何かのことで地元の御住職に食ってかかり、三十万総登山にも行きたがっていた母親を無理に脱講させたうえ、十一月に死なせ自らも四十代の若さで死亡したのです。このように身近な人が次々と、わずか四カ月間で四人も死亡していく姿と、自分自身の経過とを照らしたとき、そのあまりの違いに、仏法の現証の歴然たることを実感しました。 昨年二月に受けた三回目の検査ではガンは二センチ以下に、六月の検査では、医師がCTの写真を指さして「この点がガンで、五ミリくらいですね」と驚きながら説明してくださいました。そして十月の五回目の検査では、ほとんど判らないと言われ、今年二月の六回目の検査で、「ガンは完全に消えています。現状では肝硬変と言うより肝炎と言っていいくらいです」との説明を受けました。一度は死を覚悟し、自分の永代供養までお願いした私ですが、大御本尊様、御法主上人猊下の大慈大悲と御住職様の御慈悲により、再び寿命を賜ったのであります。また、折伏をさせていただいた功徳の賜であるとつくづく感じています。さらに、三十万総登山成就のための唱題を誓願し、途中、体調を崩しながらも欠かさず続けた妻のお陰であると感謝しています。 私は、平成三年に喉頭ガンで喉の手術を受けこれを克服し、平成十一年には屋根から転落して、骨盤、腰骨、背骨を骨折、そして今回、宗旨建立七百五十年の大佳節の真っ最中に肝臓ガンとなりましたが、三度「更賜寿命」の大利益を賜ったのであります。 寿命を賜った私の体験を、御報恩の一念をもって、一人でも多くの人々に伝え折伏し、御法主上人猊下御指南の「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の大佳節に向かって、下種、折伏、寺院参詣、法統相続など、すべてに命をかけてがんばってまいります。 |