妙観院支部 矢岡美佐 
 私は、九州の福岡県行橋市に住んでいます。入信は平成十三年九月、妙観院九州出張所において、妹の梶原薫の折伏によるものでした。今月で一年九カ月になります。
 私は、五歳で父を、十六歳で母を亡くしました。その後は、隣りに住んでいた叔父・叔母が親代わりとなって育ててくれました。叔父の家は、近所の念仏の寺の檀家でした。幼い頃から世話になっていた私たち姉妹は、叔父夫婦に「日蓮正宗の信徒になりました」と、なかなか言えずにいました。
 さらに主人は、大の宗教嫌いでした。ですから入信はしたものの、私は行事や会合への参加も信心の活動もできず、御本尊様を御安置することもできないまま月日が流れました。その間は、折伏してくれた妹の家へ通って勤行していました。
 私は、「会合に行かせてください」と御本尊様に祈りました。それでも、会合に行こうとすると、いつもは穏やかな主人が、急に人が変わったように怒り出しました。私は、主人に嫌われたくない一心から、勇気を持てずに我慢するだけでした。
 入信して間もない頃、近所にお住まいの婦人部の先輩に相談しました。そのとき先輩は、「このままご主人も黙ってはいませんよ。あなたが腹を決めたときからどんどん反対してきますよ。いつも笑顔でいなさい」と、ニコニコしながら激励してくださいました。私は、そのとおりに笑顔でいようと思いましたが、すぐに主人と言い争いが始まって、パニックになっていました。妹に当たったり、信心の連絡に来てくれる知人を怒鳴ったりしていました。毎日、落ち着かない日々が続きました。
 ある日、そんな自分がいやになって、先輩のお宅に相談しに伺いました。すると先輩の顔を見ただけで涙が溢れました。現実の自身の状況を考えると、そこには「信じたいのに信じられない自分」がいるのです。
こんな辛い思いをするのなら信心はしたくないと投げ出したい気持ちになったり、もう、どうでもいいと逃げ出したい気持ちになったこともありました。
 そんなとき、信心の先輩や友人が皆で心配してくれました。先輩たちは口々に、「信心はまず信じることから始まるのよ。何もしないでただ考えているだけでは結局、開けていかないわよ」と言われました。私は、そのときはじめて「そうだ。言われたことを実行しよう。前進するのだ、逃げてはだめだ」と決意しました。

前向きに実践を決意

 今度は、「自分を変えたい」と御本尊様に御祈念申し上げ、御題目を唱えました。すると不思議と気持ちが落ち着いていくことに気づきました。そして少しずつ前向きに実践できるようになっていきました。自分が腹を決めたときから何かが開いていくような思いがしました。
昨年の八月、主人には「名古屋のおばあちゃんに会いに行く」と言って、三十万総登山に参加させていただきました。初めての大石寺参詣でした。本門戒壇の大御本尊様に御目通りをしたときの感動は、生涯忘れられない思い出になりました。
 その帰り道、名古屋のおばあちゃんに会いに行きました。そこに、主人から、「早く帰って来い!」と電話が入りました。何が起こったのかと帰ってみると、主人の両親から話があるとのことでした。義父は、自営業がうまくいかなくなり、主人の名義でも借金をしていました。他にこれ以上借りる所がなくなったので、今度は、私の名義を貸して欲しいとのことでした。私たちは、お断りするより仕方ありませんでした。
すると、まだ購入して二カ月しかたっていない私たちの車を担保に入れてしまいました。

御本尊様を御安置状況が開けていく

 このとき私は、「もう、御本尊様を御安置させていただくしかない」と腹を決めました。周囲の反対も覚悟のうえで、家族の誰にも相談せずに御本尊様を御安置させていただきました。
 今まで、日蓮正宗に入信していることすら知らなかった叔母は、びっくりして近所の念仏のお坊さんに相談に行きました。お坊さんからは、「安心していいですよ」との一言だったそうです。それで、叔父も叔母も安心してくれました。何とも不思議な話です。
一年間悩んだことは何だったのだろうと思うほど、叔父、叔母から何も言われなかったことに、私は、びっくりしました。「結局、悩みは自分で作っていたんだ」と思いました。
 ところが、御本尊様を御安置させていただいたことで、主人が怒ってしまい、口をきかなくなってしまいました。狭い家の中で家庭内別居が始まりました。私は、「いつかきっと抜け出せる。絶対に主人も判ってくれる時がくる」と信じて御題目を唱えました。
 そして昨年の十二月、主人の父が車を運転中に脳卒中を起こし、交通事故に遭いました。義父が仕事ができなくなったことで、私たち夫婦に借金がふりかかってきました。我が家の経済の破綻でした。民事再生手続きの申請を余儀なくされました。
 もし、入信前の私だったら、半狂乱となり、対処はできなかったと思います。しかしこのときは、不思議なほど冷静に現実を受け止め、しかも夫婦力を合わせて事に臨むことができました。私のどこにこれはどの冷静さと力があったのかと、私は御本尊様にただただ感謝するだけでした。「信心を真面目に実践している人は、いざというとき、必ず諸天の加護がある」という、先輩の言葉通りでした。
 それからです。主人の態度が変わりました。三カ月続いた家庭内別居が終わりました。主人から「迷惑をかけてごめん。君は、前向きですごいね」と言われました。本当に信心をしていてよかったと思いました。以来、主人は進んで協力してくれています。今では、お寺の行事や会合も、また折伏にも自由に楽しく活動できるようになりました。
 今年の四月、職場の同僚であった岩下ひとみさんを折伏しました。私の入信は、折伏されてから三カ月もかかりましたので、岩下さんを折伏するとき、きっとたいへんだろう、素直に入信することはないと覚悟していました。その覚悟がかえって、堂々とした自信のある姿に写ったようでした。岩下さんはわずか二時間の折伏で入信されました。
 その岩下さんは、入信して二カ月しかたたない六月に、二人の友人を折伏して入信させることができました。岩下さんが折伏された
お二人も、本当に素直に入信しました。彼女たちは、岩下さんの家に遊びに来て、御仏壇を見て、自分から「これは何なの」と聞いてきたそうです。そこで「信心には正しいものと間違ったものがあるのよ」と話をしましたところ、お二人は、「それじゃあ、私もさせて」と言って素直に入信されました。岩下さんもその二人のお友達も、一生懸命に勤行して、お寺の行事や会合にも欠かさず参加されています。



先輩、同志に囲まれ、明るく折伏に前進

 私が所属している地区は、いつも折伏の話で盛り上がっています。人が集まると、すぐに皆、喜んで折伏の体験の話をします。入信された方には、すぐに婦人部の先輩が「下種をたくさんしなさい」と教えます。私たちの地区は、六年前に結成されたときは、わずか三世帯八名の大人と子供たちであったと聞いています。それが今では、百世帯百五十名を越えようとしています。私はこのような地区、そして先輩や同志の方々の中で、一つひとつ人生の貴重な勉強をさせていただいています。
 そして、妙観院九州出張所満三周年記念の六月十五日に、出張所の御宝前において、御主管・菅野道渉御尊師より御授戒を賜り、主人が入信することができました。
その日の主人は、今までに見たことがないほど清々しい顔をしていました。私はもう大歓喜でした。
今では、日々月々、どんなことも絶対に乗り越えられると信じて、毎日を楽しく過ごさせていただき、感謝でいっばいです。
 私は、御本尊様を御安置させていただいたときに決めたことがあります。それは、お寺の行事や会合に進んで出席しよう、折伏もがんばろう、ということです。「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かって、信心のすばらしさ、正しさ、すごさを伝えられるよう、お役に立てる自分になってまいります。まだまだ課題はたくさんありますが、これからも御主管の御指導のもと、先輩、そして同志の皆様と共にがんばります。