延寿寺支部 藤本栄子 
  平成十三年八月五日、延寿寺にて入信させていただきました。
 私は小さいときから幸せという言葉に縁がなく、小学校一年のときに母がガンで他界、その後父は、私が母なし子ではかわいそうと、お見合いの未、再婚しました。義母と私は性格が合わなくて、言い争いばかりして、私はいつも寂しい思いをしていました。父は立正佼成会に入り支部長を務めていましたが、家の中はいつも暗く、言い争いの絶えない家庭でした。

 立正佼成会、顕正会、正信会、願いむなしく続く不幸

 二十歳のとき主人と知り合い、結婚しました。これで私もやっと幸せになれると思っていましたが、月日がたつにつれて主人は人が変わり、仕事はしない、お酒を飲んでは暴れる、夜は帰ってこないというふうになりました。地獄のような生活が続き、辛くて辛くて、二人の子供を連れて死のうと思ったことが何度かありました。
 ある日のこと、顕正会に入信していた方に、「幸・不幸は宗教の正邪にある。東を向いてお経を読んでいけば、絶対に幸せになれる」と言われ、そんな簡単なことで幸せをいただけるならと入信しました。言われるままにお経と勧誘、家事は後回しにしてまで、一生懸命がんばりました。しかし、がんばればがんばるはど、顕正会のおかしさ、矛盾、恐ろしさを感じ始めました。
 そこで顕正会の支部長に思っていることを話しました。二・三日たって、支部長に顕正会の会館の三階へ呼ばれ、「おかしいのはあなたです。本日をもって藤本栄子は顕正会から除名」と言われました。しかし、なぜか気持ちは落ち
着いていました。
 これから自身の信仰をどうすればいいのか、冬の寒い夜、星を見、月を見、涙にくれながら、「正しい組織がどこかにきっとあるはずだ。教えてほしい!」と祈るばかりでした。
 ほどなくして顕正会から離れた人たちが行っている兵庫県のお寺があることを知りました。高知では本門講と言うらしく、私は法華講の中の一つの組織だと思い込んでいましたが、後になって正信会だと判りました。間違っているとは思いもせず、真面目に信心していました。
 ある日、兵庫県のお寺に行ったときのこと、体の具合が急に悪くなりました。一日中辛かったのですが、自宅に帰り着くと嘘のように体がよくなりました。その日からお経が苦痛になりだしました。
そのときはどうしてこうなったのか、判りませんでした。
 平成十三年を迎え、「来年は宗旨建立七百五十年。今年から来年にかけて信心上何か変わったことが起こりそう」と、いつも主人と話していました。そんなある日のこと、正信会で知り合いだった木下さんが、スーパーで買い物をしていた私に声を掛けてくれました。木下さんは、「私は今、法華講員なのよ。信心が命に入ってくる。すごいよ。藤本さんも正信会をやめておいでよ。またゆっくりお話しましょう」と言って、別れました。

回り道の末辿り着いた本物の正しい信心

 その夜、正信会の講頭に、木下さんから折伏されたことを話すと、講頭は「そんな者の話を聞いていたら、しつこいくらい家に来るので、取り合うたらいかん」と言うのです。もし正信会が正しいのなら、なぜ離れていった木下さんに話をして救ってあげないのだろうかと、私は疑問を持つようになりました。そして、兵庫のお寺で具合が悪くなったのは、正信会の間違いを仏様が教えてくれていたのではないか、と思うようになりました。
 七月のある土曜日、玄関で「こんにちは!」との大きな声に呼ばれて出てみると、以前顕正会・正信会で一緒だった下村さんと村上さん、そして木下さん、しばらくぶりの方々がいて、びっくりすると同時に懐かしく思いました。皆さん今は法華講に入って正しい信心をして、下村さんは登山部長、村上さんは地区長をされているとのことでした。
 下村さんたちから、正信会の誤りを指摘され、「正しい信心に縁しなければ成仏できない」と言われ、私はその通りだと思いました。
奥の部屋にいた主人に、「下村さんたちが来て、正信会が間違っていると言っているので聞いてみて」とお願いしましたが、聞く耳を持ちませんでした。私は、すぐにでもお寺へ行って御住職様のお話をお聞きしたかったのですが、その日は帰っていただきました。
 その後、下村さんたちは、一週間おきに三回来てくださいましたが、主人はどうしても聞こうとしません。私は、「早く縁しなければ、宗旨建立七百五十年の御奉公に間に合わない」と考えた末、下村さんにお願いして、主人を折伏
してもらいました。
 主人は、顕正会、正信会と共に信心していた大原さんも呼び、私たち三人は腹を決めて延寿寺に行くことになったのです。お寺の御本尊様を拝したとき、今までに味わったことのない感動と感激で五体が震えました。延寿寺御住職・川口盟道御尊師の「大聖人様の教え通りの正しい信心をしなければ、仏力、法力は顕れてこない」との折伏を受け、そして、宗旨建立七百五十年慶祝の三十万総登山大法要のお話をお聞きしたとき、三人揃って入信を決意したのです。平成十三年八月五日に御授戒を受け、六日には御本尊様を御下付いただきました。
 私は、正信会に入信して二年目くらいに甲状腺ガンの手術を受けていました。その後も痛みがずっと続いて辛かったのですが、六日から痛みが嘘のようになくなりました。御住職様の御指導どおり、血脈のない御本尊には仏力、法力はなかったのです。正しい組織、法華講に入信でき、本当に有り難く思っています。何度も折伏に来てくださった方々、本当にありがとうございました。

謗法を懺悔し罪障消滅を願う

 それからは御本尊様に懺悔し、罪障消滅の信心の闘いが始まりました。大聖人様の御意に適う折伏を願い、時間のある限りお寺に参詣し、大歓喜の中の大歓喜、心地よい御題目を唱えました。すると折伏の命がどんどんと涌き、主人と共に折伏に励み、その年、創価学会の方、正信会の方、併せて三世帯折伏できました。
 御住職様の罪障消滅についての御指導の一つに、「登山して戒壇の大御本尊様にお詫びすること」とあり、十一月の支部総登山には、入信後すぐに折伏した娘夫婦と主人と大原さんとの五人で参加しました。これが私の初めての登山となりました。緊張と期待と興奮の中、荘厳なる御開扉で私は、有り難くも大御本尊様を真正面で拝させていただきました。涙が滝のように流れ、命の浄化を感じながら、過去世からの罪障消滅を御祈念申し上げ、折伏と仏道修行を改めて決意し、下山しました。
 いよいよ宗旨建立七百五十年の平成十四年となり、私は三十万総登山に一人でも多くの方と参加できるよう願い続け、六月二十九日、この年に折伏した六世帯の方と共に、襟を正して参詣しました。言葉では言い尽くせない有り難さでいっばいでした。
 さらに三十万総登山にもう一度参加したいとの思いで唱題に励んだところ、九月七日、それまで折伏した方の中でまだ登山されていなかった方を含む七世帯の付き添いとして再度参詣できました。
 入信後一年間で九世帯十五名の方を折伏でき、また、三十万総登山に参加できたことは、この上ない喜びでした。この経験は、今後より一層精進していく上での、糧となりました。



祈りとして叶わざるなし

 話は戻りますが、平成十三年十一月の支部総登山、私たちの初めての登山の直前、娘は「脳にピンポン玉ぐらいの腫瘍が二つある。一カ月後にもう一回検査してその結果によって手術します」と言われていました。娘は命がけで登山しました。行きのバスの中で娘はめまい、嘔吐に襲われてたいへんでしたが、大御本尊様に御目通りしたい一心で参詣しました。下山後の再検査の結果は、何と腫瘍の影が消えているとのことでした。本物の信心には本物の功徳がある、嬉しくてたまりません。仏力法力在す御本尊様に信力行力をもって祈り、「祈りとして叶わざる無く」(日寛上人御書文段一八九頁他)の功徳を戴きました。
 法華講の信心に目覚めた私は、邪教のときには得られなかったたくさんの功徳を戴き、命ある限り御奉公させていただこうと決意しました。
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書九九一)
との御金言を胸に、御法主上人猊下より新たに賜った御命題である「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の佳節までに、地涌の友の倍増乃至それ以上の大結集をめざして、
「命限り有り、惜しむべからず」(同四八七)
の御金言のごとく、御住職の御指導のもと、講頭さん、婦人部長を先頭に、地区長に付ききり地区が一丸となり、御本尊様に「よくがんばった」とお褒めの言葉を戴けるようがんばってまいります。(四国地方部総会 平成15年4月20日)