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妙境寺支部 藤岡道子 |
藤岡道子さんは日蓮宗の檀家の家に生まれた。一昨年の秋、子息の結婚に関して、自分たちの力では解決できない問題に直面したため、自宅の近所のお寺を紹介してもらおうと実家の菩提寺に連絡を取ったところ、日蓮宗ならどの寺でもよいとの返答だった。 そこで、かつての住まいの近くに日蓮正宗の妙境寺があったことを思い出し、十月十一日に「御題目を唱えさせてほしい」と尋ねて行った。唱題の後、お寺の奥様より、「大石寺の御本尊様が本物ですよ」と折伏を受け、さっそく正しい信心をしようと決意した藤岡さんは、長男として先祖代々の浄土真宗の仏壇をたもつため自分はできないと言うご主人に、「自分には勧めないように」という条件付きで信心を認められた。 こうして二日後の十月十三日、御報恩御講の日に藤岡さんは御授戒を受けた。すると翌日には、悩んでいた問題が解決して御本尊様の功力を実感し、平日午前十一時からのお寺の唱題行に通うなど、内得信仰ながら、唱題できる喜びにあふれた生活が始まった。 初めの頃は、「主人の反対で私は御本尊様を御下付いただけないのだ」と思っていたが、「私にも過去世に法を犯してきた罪障がある、まだ私の信心では御本尊様をお迎えするのは無理」と思うようになり、さらに「主人の来世を考えたら、今世に御題目を唱えさせてあげたい。今世に御題目を唱えられないと来世に御本尊様に縁することはできない」と、藤岡さんの考えはどんどん変化していった。 入信して一カ月後の平成十三年十一月に、まず四十年来の友人をこの信心につかせてあげることができました。十年前から肝臓ガンで生死を彷徨(さまよう)ことが何度もあり、そのたびに励まし続けてきた人です。彼女に、私が妙境寺で御授戒を受けて毎日唱題行に通っていることを話し、お寺にお連れしました。御本尊様を信じて御題目を真剣に唱えていけば、確実に結果が出ること、この日蓮正宗の教えは間違いないことなど、御住職の御法話のなかで私自身が強く感じたことをぶつけていきました。 そして彼女は無事、御授戒を受けることができ、体調のよい日は唱題行にお連れしました。しかし、浄土真宗の謗法を払い、御本尊様を御入仏する決意にまでは至りませんでした。そのようななか、三十万総登山に五月末、一緒に行くことを決意してくれました。 その後、いろいろなことが起こりました。三月末、彼女は自宅で意識不明で倒れているところを近所の人に発見され、救急車で運ばれ、入院となりました。もう少し遅れていたら命がなかったと病院で聞いて、御本尊様にお守りいただけたことを強く感じ、二人で報恩感謝の御題目を唱えました。 この入院の間に、彼女の娘さんが、ご自分の住む八幡西地区の公団に母親を住まわせたいと強く願ってきました。退院後に引っ越すことが決まり、私は、今こそ謗法を払う時と、彼女と娘さんを説得しました。そして、引っ越し準備にかかる前に、娘さんと一緒に謗法払いを済ませました。入院から一カ月後の四月末、退院と同時に引っ越し、無事、御入仏できました。 ホッとした矢先、彼女は散歩の帰りに転んで肋骨を折ってしまいました。私は、退院のお礼と御入仏できたお礼を申し上げるため、お寺に連れて行かなければいけなかったことに気づき、深く反省し、御本尊様に、そして彼女に申しわけない気持ちでいっばいでした。 彼女は病院で、「今夜は痛むだろうから、そのときは薬を飲むように」と言われました。しかし、薬を飲むと、弱っている肝臓に負担がかかります。なんとか痛まないでほしいと願っていました。 その晩、彼女の身に何かが起こったと思われるような夢を見て目が覚めました。時計を見ると午前二時頃でした。私は、起き出して御題目を唱え始めました。「申しわけない。私が、まずお寺にお連れしなかったばかりに怪我をさせてしまった」と必死に御本尊様に謝りました。気がつくと六時を回っていました。彼女に電話をかけると、痛まずによく眠れたとのことで、御本尊様に心の底から感謝しました。 主人からは、「登山に連れていくのはやめなさい」ときつく止められていました。しかし、私は常日頃、「死ぬ時は御本尊様の所に帰って、来世は二人とも同じ時代に身近な所で御本尊様に縁できるように、唱題してがんばろうね」と話しており、登山している間は大丈夫と確信もしていました。主人には一緒に登山することを内緒にして、娘さんには「二日間だけお母さんの命を預からせてちょうだい」とお願いし、準備万端整えて臨みました。 一方、主人は、私の登山の直前に一日一六〇〇キロカロリーの食事療法を始めました。白内障の手術を受けるにあたり、血糖値を下げるためでした。私は、留守をする二日間、五食分を作って冷蔵庫に入れ、登山しました。そのようにして大石寺の本門戒壇の大御本尊様に御目通りさせていただき、この喜びは一生忘れることはできないでしょう。 総本山から帰って数日後、食事療法を厳密に続けた主人の血糖値と体重は標準値まで下がりました。しかしクレアチニンという項目だけが正常値に戻りませんでした。私は妙に気になり、以前より信頼している医師の所に主人を連れて行きました。先生はその場で、腹部に大動脈瘤があることを見つけてくださいました。普通は四センチ大になると手術をするところ、すでに六センチに達していました。すぐに小倉の医療センターを紹介され、診てもらった結果、八月十二日に入院、十九日に大動脈瘤の手術を受けることが決まりました。 私は、主人が登山に行かせてくれた功徳だと感じました。気がつくのが遅れていたら、大動脈瘤は破裂して、一命を落としたことでしょう。御本尊様に感謝しても感謝しきれない思いでした。 そして入院までの一週間、私は一生懸命に主人を折伏しました。話をしても話をしても、首を縦に振りません。浄土真宗の家に生まれ育った謗法が邪魔をするのだと思うと、謗法が憎くて涙が出ました。「私が主人を思う一念が足りないのですね。御本尊様、どうぞ主人をお導きください」と唱題し続けました。 そんな日が三、四日過ぎ、少しずつ主人の気持ちに変化が出てきました。家にはまだ謗法はありましたし、先祖の仏壇をどうすればいいのかなど、いろいろと問題はありましたが、時間がありません。必死でした。 そして入院の二日前、主人は「納得したわけではないぞ」と不承不承、承諾してくれました。私はそれでもうれしくて、御住職にご報告しました。入院前日の八月十一日、主人は御授戒を受け、その日のうちに御住職によって、我が家に御本尊様を御入仏できました。「これで主人は絶対大丈夫。元気になれる」と確信し、報恩感謝の御題目を唱えました。 手術前の検査で、さらに心臓の菅動脈三本が九十八パーセントまで詰まっていて、このまま手術をすれば心臓がもたないと判りました。心臓にバイパス三本を入れる手術をして、回復を待ってから大動脈瘤の手術をするとのこと。最悪の場合、脳梗塞や心不全等を引き起こすこともあるとの説明でした。しかし、私は意外なほど落ちついていました。事前に心臓が耐えられないことが判り、万全の準備を整えてから手術を受けられることは、御本尊様のお計らい以外の何ものでもありません。主人の入院中、私は付きっきりで看病し、朝は丑寅勤行、夜は九時の消灯後に勤行して、あとはひたすら唱題しました。 バイパスの手術は成功し、その後の回復は先生方がびっくりされるほど順調で、大動脈瘤の手術も無事に済みました。それまで自覚症状もなく、ただただ御本尊様の御加護によってお守りいただけていたことを知り、報恩感謝の唱題を続けました。入院中に、主人の両親等のお骨を菩提寺から妙境寺の納骨堂に移せたことも、大きな喜びの一つです。 そして、入院から二カ月後の昨年十月十一日に無事、退院できました。その日は奇しくも、私が初めて妙境寺を尋ね唱題させていただいてから、ちょうど一年後でした。主人が退院し、私は安心して奉安堂落慶記念大法要に参加させていただきました。 今年の一月一日に、御住職より班長の任命を受け、七世帯の講員の方をお預かりいたしました。どうか班の方全員が、「日蓮正宗に縁できてよかった、信心してきてよかった」と感じることができますようにと御祈念し、また一人ひとりが自分の喜びを多くの人に伝えていけるよう、がんばります。 私は、この一年半の間、勤行をしないといけないからするのではなく、ただ御本尊様の前に座って唱題できることがうれしくて、感謝の唱題をする毎日でした。「これから二十年、元気で御題目を唱えさせてください。その間に縁する多くの人たちを日蓮正宗の信心につけさせてください」という気持ちでいっぱいです。 ここまで私を導いてくださった御本尊様に御報恩申し上げ、御法主上人猊下、日々御指導くださる御住職、そして講員の皆様方、また多くの人々に感謝いたします。 |