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啓信寺支部 松本はるみ |
平成十年十月十三日、待望の初孫が誕生しました。ところが、一歳の誕生日を迎える十月に衝撃が走りました。孫の病気が発見されたのです。病名は「脳腫瘍」でした。検査結果は、左の脳に七センチ、左側半分が腫瘍でした。検査をした病院では、今までに例のない珍しい難病でした。「一日でも早く入院し手術をしましょう」と言われ、入院を決めた二日後、娘婿の兄から、別の病院を紹介されました。その病院では、「すぐに緊急入院の予約をするように」と言われました。 以前から、娘婿は娘の信心に大反対でしたが、子供のためならと、前住職・故三浦公秀御尊師の御指導を素直に受け、すぐに入信することを決めて、御本尊様を御安置しました。二日後、家族全員で大石寺へ御登山し、戒壇の大御本尊様を拝したとき、私は、「孫は生まれて一年しかたっていません。なんとか小さな命を助けてください」と心より御祈念しました。すると「私たちの大切な孫はこの信心で絶対よい方向へ転じていける」と確信し、「あとは御本尊様を心から信じきれば大丈夫」という不思議な勇気が涌き上がってきたのです。それが私の一番の心の支えでした。 その後、予約をした病院から連絡があり、孫は三週間の予定の検査入院をしました。孫の入院した月に、偶然にも小児脳外科の先生が赴任されて来ていました。当初、年内に手術の予定でしたが、二千年問題があるということや、年明けには手術のための日本に初めての医療機器が入るため、孫にそれを使うことになり、手術は二千年一月に決まりました。 ところが、検査入院も残り一週間というとき、孫に新たな病気が発見され、目と目の間の鼻の骨が一部欠損していることが判りました。腫瘍の一部がその欠損している穴をうまくふさいでいたため、細菌が脳に行くのをくい止めていたのだと説明されました。先生からは、腫瘍よりも欠損のほうがたいへんなことだと聞かされ、そのため、いろいろな科の先生方が、孫の手術に立ち会う予定とのことでした。 手術の前日に、担当医より「これだけの設備の整った手術ができるのは、日本中探してもないでしょう。私たちに、失敗は絶対に許されません。任せてください。症状が出る前に発見できたのが幸いでした」と言われたとき、私は胸が熱くなり、御本尊様に感謝の気持ちでいっぱいでした。また他の先生からは、「お孫さんは本当にラッキーですね」と言われました。 手術の日、六時間から七時間の予定だった手術は、十四時間かかってしまいました。この間、講頭さんをはじめ講員の皆様が、孫のために御題目を唱えてくださいました。有り難いかぎりでした。一歳になったばかりの孫が、十四時間の大手術に耐え続けられたことも、本当に不思議でした。結果的に手術は、孫の体力を考慮し、腫瘍を半分だけ取って、終了しました。 手術後は目をみはる回復力で、驚きの連続です。一回目の手術が、後遺症もなく無事に済んだことは、御本尊様から戴いた大きな功徳と思い、感謝の気持ちでいっぱいでした。この孫の病気が、私にとって御本尊様への絶対的な確信となり、折伏をさせていただき、なんとしても恩返しをさせていただこうと決心したのでした。 そして去年の四月頃、突然、音信不通だった叔母から連絡があり、近況を聞いているうちに、今を逃しては折伏する機会がないと思い、孫の病気のこと、御本尊様に守っていただいたことを話しました。叔母は日を改めて、連絡することを約束してくれました。私は叔母を思い、心からの御題目を唱え続けました。数日後、叔母のほうから「信心してみようかしら?」という言葉が返ってきたので、私はその日のうちに叔母の所に行き、改めて折伏しました。それから一週間後、叔母は友人と一緒に勧誡を受け、御本尊様を御安置することができました。 それから二カ月後の六月、私の家のお隣りに住む長嶋さんに、久しぶりに玄関口で会いました。世間話から、ご主人が重い病気だと聞かされました。そのときは「お大事にね」と言葉を交わしたものの、家にいても、ご主人の病気のことが頭から離れませんでした。孫の病気と、長嶋さんのご主人の病気がどうしても重なって仕方がありませんでした。その夜、長嶋さんの奥さんに我が家に来てもらい、私の正直な気持ちを聞いてもらいました。なんとか救ってあげたい、の一念でした。二十年以上も隣人同士として生活しながら、信心の話をするのは初めてでした。長嶋さんは素直に聞いてくれましたが、返事は「急に言われても決心がつかない」でした。話を聞いてくれたお礼を言ってその夜は別れました。一週間後、長嶋さんから「信心のことは、ごめんなさいね」と言われ、「縁がないのかな」とがっかりしましたが、あきらめずしっかり御本尊様に御祈念を始めました。すると十日後、長嶋さんのほうから「信心の話をもっと聞かせてほしい」と言われ、「どうしたの?」と聞き返すと、ご主人が二、三日前から入院しているとのことでした。私は「時間を作るから、すぐ御住職様の御指導をいただきましょう」と言って、すぐにお寺に連絡を入れ、長嶋さんとお寺に向かいました。長嶋さんは、御住職様の温かい御指導に涙し、その場で入信を決意し、御授戒を受けることができました。私は奥さんだけでも入信できて、本当によかったと思い、胸が熱くなりました。長嶋さんから、「御本尊様の御下付は、待って欲しい」と言われましたが、その日が近いことを願い唱題に力が入りました。 それからまもなく班員だった北村さんが亡くなったという連絡を受け、婦人部長と一緒に北村さんのお宅を訪問しました。信心強盛だった北村さんのためにもと、北村さんの娘の宮入さんを折伏しましたが、なかなか決心がつかない様子でした。次回の訪問を約束して家に帰ってからは、宮入さんを絶対折伏したいとの思いで唱題し、御祈念し続けました。二度目の訪問のとき、講頭さんに折伏していただき、宮入さんは息子さんの前で脱会を決意し、数日後、無事勧誡を受けることができました。 そして十月、我が家に二度目の衝撃が走りました。私の父が久し振りに人間ドックに入り、健康診断を受けた結果、食道に七センチ大のガンが発見されました。他にも転移があり、余命一年との診断を受けたのです。ショックでした。私は、今こそ本当の親孝行をするときと心に決め、唱題に励み御登山をし、父の当病平癒の御祈念を真剣にしました。父の病気に関しては孫のときの体験がありますので、私は、御本尊様を心から信じきり、確信を持って唱題し続けました。毎日毎日、真剣に御題目を唱えました。その後、父は二カ月半の化学療法を終え、去年の暮れに無事退院できました。退院後、初めての検査結果が出たのは、今年一月の半ばでした。その結果、食道にあった七センチ大のガンも、リンパ節にまで転移していたガンもきれいに消滅していたのです。私はこの感動をただただ御本尊様に心から感謝しました。 私は、去年の十二月から朝詣りをさせていただいています。また、今年一月からは、啓信寺支部において百日間唱題行が行われ、唱題できることを本当に有り難く思っています。 唱題行が行われていた一月下旬、数年前から折伏していた友人の宮崎さん夫婦が、御授戒を受けることができました。また二、三年前に下種した友人の竹内さんが入信を決意し、二月二十八日に無事、御本尊様を御安置できました。彼女こそ、折伏は絶対に無理だと思っていた人でした。 話は前後しますが、竹内さんの御本尊様御下付の一週間前、二月十九日には、内得信仰だった長嶋さんも無事に御本尊様を御安置できました。そして五日前の三月二十六日には、友人の高原さんを折伏し、高原さんは御本尊様を御下付いただき、無事御安置も済みました。振り返りますと、この一年間で七世帯の折伏を成就させていただきました。 ![]() 今、思うことは、昼に夜に行われる、御住職・宮野審道御尊師を中心とした異体同心の講中の唱題行が大きな力となって、私にも折伏を成就させてくださったのだということです。 「蔵の財より身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」(御書一一七三頁) との御金言を胸に、今までのいろいろな体験から一人でも多くの人に下種し、御本尊様に恩返しをさせていただこうと思います。そして、今年の宗旨建立七百五十年の大法要を、縁ある方々の歓喜の涙で飾りたいと思います。(さいたま地方部総会 平成14年3月31日) |