![]() |
![]() |
佛見寺支部 河井義一 |
末期の肺ガンから蘇生できた体験を発表させていただきます。 体調が芳しくなかった私は、昨年の五月七日、健康診断を受けることになりました。その結果「左肺に直径四、五センチの曇りがあります。肋骨の内側から広がっているので手術はできません。国立ガンセンターを紹介しますので、ベッドが空き次第、入院してください」と、担当の医師に言われました。 さらに「すぐにご家族を呼んでください。話があります」と言われましたが、「妻は案外、気が弱いので呼べません。私は何を言われても動揺しないので心配ありません。私の命はあと何カ月ぐらいですか」と尋ねました。医師に「肺ガンの四期で治療しなければあと半年の命です。早急に治療したいけれど三日後でないとベッドが空きません。いつでも入院できるように待機していてください」と言われましたが、不思議に動揺はありませんでした。 私にとって、生まれて初めての入院でした。八十歳ぐらいまでは元気でいられると思っていたのに、七十四歳で死ぬのでは少し早すぎるな、と思いました。 昭和四十二年十月三十日、仏見寺にて御授戒を受けて日蓮正宗の信徒になり、平成四年五月三日、法華講の一員になりました。今日までの人生が走馬灯のように思い出され、いろいろと反省させられました。私は、今までに三回も事故で死に直面し、そのつど御本尊様に守られて更賜寿命の功徳を戴いています。「それなのに、まともな御報恩も申し上げられず本当に申し訳ありませんでした」と懺悔し、涙が溢れて止まりませんでした。 私は、病院から帰宅する途中、身辺の整理のため、二十八年間勤務していた会社に立ち寄りました。社長に会って病状を報告しましたら、社長に「元気な顔をしているじゃないか。よくなったらまた働いてくれ」と言われました。しかし、私にはやっておかねばならないことがあると決心して、その日、退職しました。 自宅に戻って家内に事の次第を説明しました。四人の子供のうち、秋田県に嫁いでいる長女には電話で知らせ、残る長男、次男、次女の三人は家に集めて家族会議を開きました。私は子供たちに真剣に話しました。その結果、子供たちは「お父さん、お母さんが大切に信仰している御本尊様を大事にお護りしていきます。一日も早い全快を願っています。安心してください」と言われました。未だに創価学会に残ったままの次男も、真剣に考え直すことを約束してくれました。 御住職・藤原広行御尊師に御指導いただきましたとき、「現当二世だ。命のある限り一心欲見仏・不自惜身命の唱題をして、自行化他の実践をしてご覧なさい。祈りとして叶わざることなしの御本尊様ですよ。大丈夫だ、すぐ治る。第一、病人のような顔をしてないではないか」と、叱咤激励されました。私は、支部でいただいていた役職の責任の重大さを感じ、若く元気で有能な方を推薦させていただきました。また御住職のお計らいで、総本山から御秘符をいただき、感謝にたえません。 これまで多数の方を折伏させていただきましたが、御住職の御指導のままに残された時間を、さらに自行化他の実践をして三十万総登山の啓蒙にかけ、人生を終わろうと決心しました。すると心は日本晴れのように爽やかな気分になり、この病は御本尊様のお計らいではないかと感じました。 御守御本尊様を胸に抱きしめ、私は国立ガンセンターヘ行きました。診断では「リンパ腺が直径三センチになっています。進行の早いガンなので、放射線と抗ガン剤治療を併せて行います。副作用が激しくてもがんばってください。苦しいからといって途中で止められません。抗ガン剤は四カ月、放射線は二カ月。それ以上やると被爆して死に至りますので、これが限界です」と言われました。 入院して最初に考えたのは、勤行する時間と場所でした。朝四時半に起きて二階の外来待合室で正座して朝の勤行を行い、夕の勤行は夜八時に廊下の隅でしました。朝の勤行のときは、入院患者が散歩に来ます。私が勤行しておりますと創価学会員の入院患者がすり寄ってきて「日蓮宗ですか」と聞いてきます。「違います。私は日蓮正宗です。あなたは創価学会員ですか。勤行しないのですか」と聞けば「入院中は勤行しなくていいんだ」と答えておりました。 入院患者に創価学会員が多いのには驚きました。そのほとんどの人が『ニセ本尊』を受けていたことも判りました。 彼らは、莫迦の一つ覚えのように「正本堂をどうして壊したのですか、桜の木はなぜ切ったのですか」と言い、いくら説明しても納得しません。そこで「『ニセ本尊』に、全快祈願しても病気は治りません。逆に悪くなりますよ」と破折しますと、彼らには確信がないので、驚くはど動揺してしまい、寄りつかなくなりました。 私は六人部屋におりましたが、そのうち二人が学会員です。二人とも再発による二度目の入院だそうで、肺ガンから脳と腎臓に転移して、日に日に悪化しているとのことでした。この病棟は重病の人が多いので、三日に一人は亡くなります。夜中には苦しそうな坤き声が聞こえます。恐怖のあまり「助けてくれっ」と、悲鳴のように凄まじい声で絶叫する人、病状が悪化して一晩中苦しむ人など、生き地獄そのものの様相でした。 その中に私が下種した方がおりました。その方のお父さんは浄土真宗の住職でしたが、肺ガンと大腸ガンで二年間も死の苦しみに喘ぎながら亡くなったそうです。息子であるその方も、同じく肺ガンと大腸ガンを患い、苦しみ抜いた挙げ句、七十歳で私の隣のベッドで亡くなりました。さらに、その方のたった一人の息子さんも大腸ガンになり術後の経過は悪いとのことでした。邪宗の害毒の恐ろしさを見せつけられました。奥さんと息子さんに、「念仏の本尊に正しい力があるならば、お義父さんもご主人も助かったはずです。何の力もない本尊です」と、折伏したところ、私の話を真剣に聞いてくださっております。何とか幸せになっていただきたく、御祈念しております。 入院中に知り合った二十数名の方々にも、日蓮大聖人の仏法の正しさを話し、入信を勧めておりました。しかし、「信心の話をするのであれば来ないで欲しい」などと言い始め、だんだん様子が変わってくるので変だと思っておりましたら、学会員が邪魔をしていることが判りました。その学会員は「河井に近づくな」と、他の学会員に言い触らしていたことも判明しました。 同じ病室の六人の中では、私が一番の重病人でした。ある日、医長が回診しているとき、学会員の一人が「私は死なないでしょうか」と、医師に真剣に聞いておりました。医師は即座に「あなたのガンは、河井さんの五分の一程度ですよ。今のところは心配しなくてもいいよ」と、励ましておりました。しかし、私に対しては「河井さんの場合、治療していても、三カ月もすると頭、喉のリンパ、腎臓に転移しやすくなります」と一般的な末期ガンの症状の深刻さが説明されました。 ところが、私は肺ガン特有の症状も、抗ガン剤による副作用もほとんどなく、あえて言うならば、髪の毛がたった一過間で残らず抜け落ち、ツルツルの禿頭になったことぐらいでした。御住職から「こんなにピカピカに綺麗な坊主頭は、なかなかないよ。形のよい頭をしていたんですね」と言って、すっかり感心されてしまいました。「これからは、奥さんと二人仲良く、一人でも多く折伏して功徳をたくさん積むんですよ」と優しく御指導をいただきました。 入院中、毎週土・日は外泊でき、そのときはいつも仏見寺まで歩いて早朝勤行に参詣させていただきました。万歩計で計ると一日平均、一万歩も歩いておりました。 昨年の八月二十八日のことです。医長から「一日一万歩も歩く患者なんて病人ではない。十二月末まであと四カ月入院予定だったけれど、三日後に退院してください」と言い渡されました。 ![]() 退院前の検査の結果、担当医師から「どこにも異常が認められません。肺もすっかり椅麗になりました」と言われ、私は、本当にびっくりしました。御本尊様の偉大なお力に、嬉しさのあまり、体が震える思いでした。 支部の方々に、ご心配や激励をいただきました。日蓮正宗の信心をし、法華講員になったことを、本当によかったと、心から感謝しております。 十月には、先輩に応援していただきながら、家内と共に一世帯ずつ折伏が実り、その方々は御本尊様を御下付戴きました。また先日の三月二十二日には、私と同じく末期ガンに冒された元同僚の小松田和雄さんのご一家七名を折伏させていただきました。三十万総登山へも、元気になって家族全員で参加したいと言っております。今後は、懶惰懈怠に流されないように、一心欲見仏・不自惜身命で、自行化他の信心の実践を命のある限り精進して、下種三宝様の仏恩に、万分の一でも報じさせていただきたいと念願するものであります。 思えば、昨年十一月の僧俗指導会の折、あと一時間の命と自身に言い聞かせて人生の何たるかを考えたとき、未来に残せるものは名誉でも地位でも財産でもない、わずかでも広宣流布のお手伝いをさせていただき、少しでも多くの功徳を積ませていただくことしかないと、はっきり自覚させていただきました。このことは、御住職が日頃の御指導の中で、何度も話されていたことでした。 大聖人様は、 「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」(御書 四八七頁) と御教示くださっております。 これからも御法主日顕上人猊下の御指南のもと、御住職の御指導のままに、更賜寿命を戴いたこの命を、御本尊様に捧げ奉りたいと思います。そして宗旨建立七百五十年慶祝記念法華講三十万総登山大法要に縁ある方ともどもに参詣するため、啓蒙に精進し、大いなる歓喜の闘いをしてまいります。(北海道地方部総会 平成14年3月24日) |