ニューヨーク 妙説寺支部 グレース・牧野 
  私は、妙説寺法華講員でフィラデルフィアの地域世話人を務めさせていただいています、グレース・牧野でございます。
 私は、一九七八年十一月に御授戒を受け、また、たいへん幸いなことに一九九八年に法華講に加えていただきました。すべての御僧侶と法華講の皆様が、真の仏法を護り、折伏を続けてこられたおかげだと感謝しています。
 法華講に入る前の私は、たいへん悲惨な状態にありました。また、健康を害して、短い期間に緊急病院に三度も担ぎ込まれたこともあります。離婚、経済的困窮、対人関係の悪化と、まるでトラブルというトラブルをすべて経験したような思いでした。苦しみの中を唱題で乗りきろうと努力をしましたが、唱題しようと決意し、がんばって六時間以上唱えても、歓喜もエネルギーも智慧も、何も感じることができませんでした。それは血脈のない『ニセ本尊』への唱題だったのでした。大御本尊様との御縁が切れた後の私の人生は、すべてが拷問に合っているようなものでした。しかし、この苦しみにある最中も、私は、いつも真の仏法を求め続けてきました。
 三年前、一九九八年七月のことでした。妙説寺の初代講頭を務められた金子稔さんにお会いしました。そして、真の仏法とは何かという話を聞き、お寺に伺うことになりました。そして御住職・長坂慈精御尊師にお目にかかりました。御住職は、私の疑問のすべてに対し、明確に、また、道理の通ったお答えをくださいました。翌日、私は勧誡式を受け、法華講に入りました。
 私は、自分では、これまで法門をよく学んでいると思っていました。SGIでは、上級試験、教授といわれる試験にも合格していたからです。しかし、法華講に加えていただき御住職より御指導をいただくうちに、その理解と知識が低く、また、間違っていたことに気が付きました。創価学会がどのようにして教義逸脱していったのかということを知るのに、二年の月日がかかってしまいました。そこで初めて自分自身がどのような謗法を行っていたのかに気がつき、とても恐ろしくなりました。
 それまで私は、誠実で正直で純粋な仏教徒だと思っていたのですが、三宝破壊をしていたのです。御本尊様への誓いさえ破っていました。
 御住職と法華講の方々に励まされ、御本尊様をお受けし、また大石寺へ御登山して御開扉に参加することもできました。正しいすべての状況が劇的に変わりました。一つの例ですが、四年間住んでいた家を、大家さんがとても良い条件を出してくださったので、買い取ることができました。
 しかし、本当の功徳は、私自身が変わったことです。私は、自分自身に自信が持てずにいましたが、変わろうと努力をしました。それでも変わらない自分自身を常に責め続けていました。英語でのコミュニケーションにも、人々との関わり方にも、自分自身の存在そのものにまで、すべてに信頼をおくことができませんでした。しかし、私は変わることができたのです。
 私の仕事は、飛行機の搭乗員です。会社の新方針としてパーサー資格試験制度が導入されました。パーサーは、勤務中、搭乗員全員の管理を行います。緊急時には機長の次に権限を委譲される職務です。このパーサー資格試験は、一週問にわたって行われます。受験前には、一度で合格するとは思えませんでした。特に英語の機内放送を考えると恐ろしささえ感じていました。二日、三日と試験日程が進んでいくうちに試験場から姿を消していく同僚もいました。試験最終日を迎え、最後の審査を経て合格発表を聞いたときは、大声をあげてしまうほどうれしかったです。この試験に合格したのも私の人生において一つの実証でした。
 昨年の七月二十九日のことでした。私は、二百九十三名の乗客と共に、日本からニューヨークに向かう大型旅客機のアシスタントパーサーを務めていました。十二時間の飛行予定も残すところ一時間半になり、カナダ上空四千二百フィートの機内で朝食のサービスを始めたところでした。機長から緊急事態発生が知らされました。「四つあるすべてのエンジンが停止する可能性があるので、十分後に緊急着陸態勢に入る」という連絡でした。我々搭乗員は、ただちにそれまでの機内サービスを中断し、カートや食器類、トレイまで危険物になるものすべてを緊急着陸に備えて片づけました。機内放送が始まると、いつもなら耳を傾けることのない乗客の姿が、全く違っていました。一言も聞き逃すまいと必死で機内放送に聞き耳を立てていたのです。ちょうどフランスでコンコルドが墜落事故を起こした直後でしたので、そのニュースを思い出してのことだったのでしょう。多くの乗客が泣き始めました。
 このとき、私にはなぜか、こんなことで死ぬはずはないという、確信のようなものがありました。緊急着陸に備える中で、三宝を護り、法華講員としての在り方を全うしようという、そんな覚悟が私にありました。母親として四人の息子を守り育てていかなければなりません。今、死ぬわけにはいきません。そんなことも死への恐怖をなくしたのかも知れません。そのおかげで、緊急事態の中でも不安なく職務を果たすことができたのでした。そして、このとき、御本尊様が、法華講員として生きる機会を与えてくださったように命の源から感じたのです。もし勧誡式を受けず、また御本尊様をお受けしていなければ、私は、二〇〇〇年七月二十九日に死んでいたと思います。
 航空管制官から機長は、カナダのトロント空港に緊急着陸するように指示されました。しかし、そこまで飛行できる状況ではありませんでした。幸いなことに、現在は閉鎖されているカナダ空軍の基地の近くを飛んでいることが判り、その空港に緊急着陸することになりました。ただ、たとえ無事に地上に降りたとしてもブレーキが作動しない恐れもあったのです。本来なら大型旅客機が使用することのないような小さな飛行場でしたが、まずは無事、車輪が滑走路に着地できました。機内の小さな窓から、停止できずに飛行場の建築物に衝突して火災を起こした場合に備え、消防車が救出作業の態勢に入っているのが見えました。無事に着陸、停止。はっとする間もなく、機長から脱出指令の代わりに、「客席から動かず、座ったままでいるように」との指令が機内放送で流れてきました。その直後、着陸するまで機能していた機内の空調から電気機能、放送機能まで、すべてが止まってしまったのでした。私たちが着陸するまでかろうじて動いていた機能が、完全に止まってしまったのです。
 この事故の八カ月後のこと、その危機を無事に乗り切った機長は、当時の搭乗員に「あのときは死を覚悟した」と語ったそうです。
本当に危ないところでした。
 二〇〇〇年七月二十九日、そのときの乗務員でなければ、この生涯で一番長かった十分間の意味は、判らないと思います。
 また、二〇〇一年九月十一日、私は、イギリスのロンドンからニューヨークに向かって飛んでいました。飛行の途中に信じられないような不幸な出来事を知らされ、ロンドンに引き返すことになりました。そして飛行場が再び開港するまでの三日間をロンドンで滞在しました。私は、その間、唱題できることを感謝し、御本尊様に深く縁していることを感じていました。私は、またも守られたのです。
 こうした出来事を経ていく中で、どのようにすれば乗客の方々を守っていけるのか、たいへん悩み、指導を求めました。御住職は、「毎朝の勤行で真剣に御本尊様に御祈念し、諸天善神に強く守ってもらえるように努力してください。そうすればあなたが、御本尊様のお力によってすべての乗客の方々をお守りすることができる」と御指導くださいました。私は、その通りだと思いました。私が何かをなす前にまず行わなければならないことは、私自身があるべき姿にあるように朝夕の勤行に勤めることなのです。それ以来、私は再び飛び続ける自信を持てるようになりました。今、私は、自分の仕事も飛行機も大好きです。
 御住職をはじめ坂田道紹御尊師、木村正嘉御尊師、そして法華講の皆様には、温かく見守り励ましてくださっていることを本当に感謝いたします。本日、宗旨建立七百五十年を祝う総会に、このような機会をお与えくださったことに感謝いたします。
(妙説寺総会 平成13年12月1日)