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正啓寺支部 服部真由美 |
本日の体験発表に当たり、一月の終わり頃、御住職・三畝忍道御尊師より「まだ二カ月以上あるから、あと二世帯の折伏をしてから臨みなさい。真剣に祈れば必ず成就できるから絶対に大丈夫」との力強い御指導をいただきました。 私共服部家は、刈谷市で収容人数五百人という比較的大きな規模のホテル業を営んでいましたが、私が嫁いだ頃にはバブルがはじけ、営業継続の危機に直面し、傷口を広げないために、閉鎖することが決まりました。しかし、土地・建物・備品の処分に当たり、前途に全く光が見えない苦悶の日々が続きました。 主人の父は心労とストレスで日に日に痩せていき、主人の兄は酒を飲み、些細なことから親戚の人たちと喧嘩になる始末です。さらに追い討ちをかけるように主人の祖母が亡くなるなど、これ以上に悲惨な状況はないと思いました。 こんな地獄のような苦しみの中での私たち服部家の入信でした。 御本尊様を沈没寸前の我が家へお迎えすることができました。日蓮大聖人様は『主師親御書』に、 「飢ゑたる国より来たりて忽ちに大王の膳にあへり」(御書四八頁) と仰せですが、飢ゑたる国である念仏の家で地獄の苦しみから、大王の膳である日蓮大聖人様の正しい仏法に巡り合えたのです。 御本尊様を御安置してからというもの、朝夕の勤行はもちろんのこと、先祖供養、御講の参詣、毎日お寺で行われている唱題会にもできるだけ参加し、そして、毎月必ず御登山させていただき、「どうか良い買い取り手が見つかりますように」等と、家族のことも含め真剣に御祈念しました。そして一カ月はど過ぎた頃から、不思議な事が起こり始めました。 土地・建物の件では、万策尽きて、いよいよ競売しかないというとき、突然、長年取り引きのあった某大手企業の社長さんが、良い条件でポンと買い取ってくれるという話が飛び込んできたのです。その社長さんは、主人の父が銀行で競売についての最終打ち合わせをしている最中、不思議にも偶然そこに居合わせ、何とその場で即決されたのです。主人の父も銀行の方も、驚きのあまり言葉をなくしてしまったそうです。そこから話は着々と進み、膨大な備品の数々も、ほとんどの物を業者に買い取ってもらえました。御本尊様の絶大な功徳を、入信してすぐに現証として見せていただいたことに、感謝申し上げました。 主人は閉鎖のための準備、その後の身の振り方に追われ、不安になったりして魔に入られることもありましたが、そのたびに御住職は、「無疑日信の信心で私についてきなさい。影は体より生ずるもの、体である自分が変わっていけば、影である周りは必ず良い状況に変わっていくから絶対に大丈夫。しっかり御題目を唱えていきなさい」と、常に私たち夫婦の状態を見て、力強く、そして笑顔で確信に満ちあふれた御指導をくださいました。苦しみを乗り越え体験させていただいた功徳の数々に、このすばらしい仏法を広宣流布していかなけれはいけないと、夫婦共に奮い立ちました。 一昨年九月に主人の友人を折伏でき、十二月に私の母を、また昨年の元旦に友人を一人、その月の十二日、十九日と続いて友人、知人を折伏させていただくことができました。 毎日のようにお寺に参詣して唱題していたとき、自分たちが苦境の最中にあっても逆に友人の相談に乗ってあげることができるようになり、不安に動じない心に変わっていくのが判りました。ホテルの閉鎖という苦境があったからこそ入信でき、しかもたった一年の間に、御本尊様の絶大なるお力を知ることができ、功徳を戴くことができました。 さらに主人は、長年にわたる椎間板ヘルニアの持病があるため再就職できるか心配でしたが、おかげで良い仕事に就くことができました。主人は入信当時、車で御登山するのも腰がつったり、足がしびれたりしてたいへんだったのですが、今では腰も足のしびれも全くなく、支部総登山や各種会合のとき、お寺のバスの運転手として、ご奉公させていただいています。 さて、前述のように母を折伏してから一年が経ちました。入信したとはいえ、父に内緒での内得信仰、家には御本尊様を御安置できません。お寺に行くのも父の留守中、こっそり参詣するしかありませんでした。 こんな状況ですから、総本山に母を連れて行けるのも年に一、二回がやっとで、御開扉を受けている母の姿を見て「またいつ連れて来られることか」と、かわいそうになり、母に申し訳ない気持ちでいっばいでした。 そんな思いから、たびたび時間を作っては父に信心の話をしてきましたが、父は「おばあさんが生きているうちは入れん。入れる時がきたら入るから」と言って、なかなか良い返事をくれません。一日一時間の唱題を目安に、父を折伏できるよう、真剣に御祈念しました。 一方、母はというと懈怠の心が出始め、「お寺に行こう」と誘っても、理由をつけて行こうとしません。「このままでは母が退転してしまう。それでは、何のために御本尊様に縁させていただいたのか判らない。父に隠れることなく信心させていくしかない」と思い、「お母さんだけでも先に信心させてほしい。毎月お山にも連れて行きたい」と、父に必死に頼んだ結果、母が信心していくことを許してくれたのです。 そして、いろいろあって年が明けた一月三日、午前零時頃になって突然、主人が「首が苦しい」と言い出したのです。ひょっとしたら私の実家のほうの因縁からきているのではと思い、電話で父にいろいろ聞いてみると、祖母方の遠い親戚に、首をつって自殺した人がいるということでした。主人の体調不全はそのことが関係してい るかもしれないと思い、実家に行って父と母に、「今からお寺に行こう。御住職様の話を聞いてほしい」と頼みました。父も聞き入れてくれ、両親を連れてお寺に行くことができました。 午前零時半を回っているにもかかわらず御住職、奥様が出て来てくださり、すぐに御住職の御導師で唱題が始まりました。真っ青な顔をしていた主人はしばらくすると回復しました。そして二時間ほど唱題した後、御庄職が父に判りやすく信心の話をしてくださり、その場で御授戒をお受けすることができました。 時刻はすでに、朝の五時を回っていました。 一月八日、晴れて父と母の家に御入仏することができ、一月十四日、父は初めて登山させていただきました。有り難いことに、私自身にとっても、父と一緒に御法主上人猊下の唱題行にお供させていただくという、これ以上ない今生の思い出になりました。大聖人様は『窪尼御前御返事』に、 「一切の善根の中に、孝養父母は第一にて侯なれば、まして法華経にておはす。金のうつわものに、きよき水を入れたるがごとく、すこしも、もるべからず侯。めでたしめでたし」(同一三六七頁) と仰せです。父と母が始終笑顔で、大きな声で御題目を唱えている姿を見て、最高の孝養ができたことに、心から幸せを感じました。 また、私は、新しい仕事に就いて一年が経ち、一日一時間の唱題を続け、縁ある職場の人たちの折伏を御祈念してまいりました。中でも、入社当時から私によくしてくれた黒木さんと藤田さんには、時間が五分でも十分でもあると、信心の話をしていきました。なかなか、じっくりとは話せませんでしたが、真剣に御祈念していたところ、御本尊様のお導きにより、黒木さんご一家と藤田さん親子の折伏を成就させていただきました。 さらに、昨年一月に折伏させていただいた宮川さんの娘さん、信子さんから、数年ぶりに電話がありました。私に会いたい、会って信心の話を聞きたいと思っていたらしく、ここ何カ月か、私のことが気になっていたと言うのです。そういうことならと、早速ご主人と子供さんもお寺へお連れし、三月十八日、晴れて御入仏することができました。 ![]() そして四月十五日の支部総登山には、初めての登山の方を八名、本門戒壇の大御本尊様の御宝前にご案内できました。 御住職の「真剣に祈れば必ず成就できる」との御指導通り、本年一月の父の折伏から始まり、二月、三月、四月と職場の知人、友人の四世帯の折伏が、主人の協力もあって成就しました。 入信してから、常に御住職の御指導に素直に従い、苦境を乗り越えてまいりました。入信以来一年八カ月、悲しいことや辛いこと、自分たちのことでしか涙を流せなかったのが、今では「本当に苦しんでいる縁ある人たちを救わせてください」と真剣に唱題していると、何とも言えぬ幸せな気持ちになり、自然と涙が出てきます。 折伏を成就して御本尊様から戴いた功徳でまた折伏を成就させていただく、これが私たち夫婦が戴いた最高の功徳であり、また使命だと思っています。折伏した知人、友人は一様に、この信心のすばらしさと御本尊様から戴いた功徳の体験を話してくださいます。私も、御法主上人猊下の、 「一切を開く鍵は唱題行にある」 (大日蓮 六三五号) との御指南通り、唱題行によって御本尊様から不可思議な現証や功徳を戴き、身をもってすばらしい体験をさせていただくことができました。 父をはじめ友人、知人も「誓願貫徹」というまことに大事な年に、入信できました。この人たちが今生において、一つでも多く罪障消滅していけることを、そして功徳を積めるように御祈念していきたいと思います。そして皆と一緒に信心篤き「地涌の同志」へと成長し、宗旨建立七百五十年法華講三十万総登山までは、自分のやりたいことは、風呂敷に包んでどこか奥のほうへしまっておいて、御法主上人猊下の御指南と御住職の御指導のもと、悔いのない大事な一年を送れるよう、唱題と折伏に、不自惜身命の信心を持って精進してまいりたいと思います。 (中部地方部総会 平成13年4月29日) |