法霑寺支部 石原 静 
 私は、昭和三十五年高校一年生のとき友人より折伏を受けたのですが、家族の大反対に遭い、隠れて入信いたしました。
中でも母の反対は尋常でなく、私が入信したいと言ったとたん胸を押さえながら、
「動悸がする、苦しい。そんな話はやめて欲しい。あなたがそんなことをしたら私は死んでしまう」
と猛烈でした。私はもうびっくりして入信を断りに行きましたが、そのとき
「幸せになりたかったら信心をしなさい。仏様の話をして狂ったように反対するお母さんの姿は将来のあなたの姿なのよ!やっと仏様に巡り合ったのだから、決心して一歩を踏み出しなさい」
と確信にあふれた言葉をかけられました。
 私はこの頃六才のときにこの両親に引き取られたことなど生い立ちを考えたりしているときでしたので「この宗教は何かあるな」と感じ、やってみようと決心したのです。
翌日この法霑寺に連れて来てもらって、入信し、御本尊様を御下付戴きました。
 御安置ができないので絶対に見つからない所へ御本尊様を隠し、朝の勤行は家を早く出て校庭の隅で東に向かい、また夜の勤行は学校の帰りに同志の方のお宅で、させていただきました。そして、唱題し折伏することを覚えて、毎日のように友人に折伏していきました。思えばこの法霑寺でたくさんの人たちを入信させたものです。
 ある日、折伏していた友人のお母さんがやって来て、
「お宅の娘さんが変な宗教に入っていて私の娘にも勧めている。たいへん迷惑だ」
と玄関で怒っている声が聞こえてきました。私はしまったと思いました。隠れて入信していたことが、遂に母に知れてしまったのです。
 母に叩かれ、信心をやめるように言われました。狂ったような母の行動に、逆に私の信心への決意はますます固まっていきました。
 「この御本尊様はすごい御本尊様なのだから絶対にやめない」としか言えない私に「それではこの家を出て行きなさい」と、出されてしまいました。その夜私は、学校の制服を着て、胸に御本尊様を抱いて、かばん一つ持って家を出ました。こんなことになろうとは思いもしませんでした。
 今から考えると、とても無茶なことでしたが、当時の私は御本尊様から絶対に離れないと固く決意できていました。
 そのとき、
「不良少女になるわけでもない、信仰をしようとしているのに、何ということをするの」
と言って、私を引き取ってくれる人が現れたのです。六歳まで一緒だった姉でした。年の離れていない姉は、共に信心をしながら身を削って私の生活一切を見てくれ、高校も立派に卒業させていただきました。姉も今は千葉の長久寺に所属し、幸せに暮らしています。
 家を出てからは遠くにいる両親の入信をひたすら祈り続けました。そのうちに父が病気になり、入退院を繰り返すようになったある日、入信を決意してくれました。
 病院の近くの霑妙寺で父が御授戒を受けるときも、母は横を向いて拒否したままです。その様子をごらんになっていた御住職様は「お母さんは、またこの次にしましょう」とおっしゃいました。私は本当にガッカリしましたが、仕方ありません。
 五年振りに我が家に帰って、やっと御本尊様を御安置申し上げることができ、父もまた素直に信心をしてくれました。それから間もなく父が亡くなりましたが、残念なことに父の葬式は母の考え一つで邪宗で行なってしまいました。私は泣きながら日蓮正宗でするように訴えましたが、結局負けてしまいました。今でも悔やまれるのはこのことばかりです。
 もう少し私に教学力があったならば、説得力があったならばと、それ以来、本気になって御書を読もう、御本尊様のことを知っていこうと深く決意いたしました。
 その後、今の主人と結婚し三人の子供を授かりいろいろなことがありましたが、全部乗り越えてきました。
 特に長男は、大学受験の大事なときに結核性痔瘻と診断され、一年半の闘病生活が続きました。
「あと二十日程入院が遅れていたら植物人間になって、二年と生きられなかっただろう」
 と医者に告げられたのです。このとき、私も主人も息子を絶対に死なせてなるものかと、必死の唱題を続けていきました。宿業ならば乗り越えてみせるぞという決死の唱題です。そうすると苦しみや悲しみの鎖から解き放されていって、希望の明かりが見えてくるのです。また、こうなると唱題も明るく一段と力強い確信に満ちた題目となっていきます。そして無事に退院することができました。
今では結婚して一児の父親となり幸せに暮らしています。
 また、貧乏のどん底だったときに次男は生まれました。
 私たちは結婚して小さな商売を始めたのですが、失敗して借金だけ残りました。諦めて勤めに出るようになった主人にさらに連帯保証人になった相手が倒産したため借金が重なり、なかなか仕事に恵まれずにたいへんでした。一生懸命にやっているのにどんどん借金だけが増していくということが長い間続きました。今日食べるお米もないという生活が来る日も来る日も続き、次男の出産を控えてその費用もない状態のときでした。
疲れ果てていた私は、幸せになるという御本尊様を持っているのに入信以来苦しきことのみ多かりきで、投げやりになったり、不信の心が出てきたりして、心は滅茶苦茶になっていました。
 でも不遇な身の上を嘆いていても仕方がありません。御本尊様を根本に打開するしかないと気づき、御本尊様にお詫び申し上げました。そして無事に次男を出産し、将来は国際的に活躍できる人物になるようにとの思いを込めて、外国人に呼ばれやすい名前をと思い英治と付けました。
今から考えると、貧乏のどん底のときによくもとてつもないことを考えていたものです。
 祈りとして叶わざるなしの御本尊様だから今はどんなに苦しくても、必ず幸せな将来が待っている、絶対に幸せになれると信じてきました。その後、次男はアメリカの大学へ留学し、卒業後、日本に帰国し、現在は東京に住んでいます。
仕事でアメリカと日本を往復して、実際にミスターエイジと呼ばれています。
 さあ、次男が生まれた後は、信心のやり直しです。
一日一万遍で一年間の唱題行を始めました。唱題が七十万遍になろうとした頃、たいへんな境界がこみ上げてきました。このことは今でもはっきり思い出せます。それは仏様の存在でした。
私の外に仏様がいて私を助けてくださるものという思いが取れていませんでした。このとき
 「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」(御書一三八八頁)
の御書が胸の中にこつ然と涌いて出てくるのです。私はハッとしました。私自身の胸の中に御本尊様と同じ仏界があるのだ、私自身も妙法の当体なのだと心から実感していくのです。そしてこのことがどんどんどんどん喜びに変わっていくのです。この大歓喜は一体、何でしょうか?「法性の淵底玄宗の極地」「九識心王真如の都」「事の一念三千の仏様」「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」等々今までに拝読した御書が次から次へと浮かび上がってくるのです。
 これ程の幸せな境界は、かつて味わったことのないものでした。


御法主上人猊下も、
 「御本尊をしっかり拝して、法界全体に遍満する仏様の智慧を信じて御題目を唱えることが大切です。そして唱題によって、皆さん方の命が仏様と一つになる。そこに皆さん方の命の中に不思議な功徳が成就されていくのであります」(大白法 五五九号)
と御指南くださっておられます。
これ以上の功徳は何もないでしょう。そして遂に三百万遍の唱題をやり遂げることができたのです。
 このことで眼の前の利益を追いかけていく信心をもう卒業して、自分自身の中にある崇高な命を引き出すための大御本尊様への祈りと、地涌の菩薩の使命感へと私の信心は変わっていきました。
 さて、去年の九月に地区長の任命を受けました。
 実際に地区の中に入っていくといろいろな方がそれぞれに問題を抱えています。とても「さあ、三十万総登山へ向けて折伏だ」と陣列を並べられる状態ではありませんでした。
 お寺の参詣もあまり行っていないようでした。登山も同じこと。座談会、唱題会にいたってはなおさらのこと。法華講二代目、三代目の方たちの中には、先代の積んできた功徳によって利益を受けているため、弘教する意識など全くない方もいます。
 また、子供への法統相続ができていない家庭、何か問題があったら御本尊様に祈ろうという姿勢も見受けられない等々、このような現実と目標との隔たりがあまりにも大きいのです。御法主上人猊下は、
 「自分白身が『やる』という覚悟を持って立ち上がっていくことが大切」(大日蓮 六五六号)
と御指南くださっています。
 私も、朝一時間、夜一時間の唱題行を根本にして、一日たりとも手離したことのない『大日蓮』はもとより『立正安国論』『日蓮大聖人正伝』や釈迦一代聖教をひもとき釈尊滅後の弘教や付嘱、釈尊の予証など拝読していきました。とても、もったいないことではありますが、客と主人との対話の中で大聖人様はどのように折伏をされ、進められていかれたのかを詳しく知り、折伏のできる力強い地区を構築していかねばならないと思ったのです。
 そして人と対応する心根については、御法主上人猊下も、
 「十界互具、百界千如、一念三千ということを深く考えるとき、本門において一切衆生無作三身という実理こそ生命尊厳の源です。命は尊いということです。(中略)御開扉で奉安殿に向かう途中にも蟻がいっぱいおります。うっかり歩いていくと踏み潰してしまうときがある。ですから私は一匹も潰さないように気をつけて歩いているんです」(大白法 五五九号)
と、十界互具の故に命の尊さを判りやすく御指南してくださっています。このことからも、誰一人として退転させられません。放っておくわけにはいきません。地区の皆様に功徳を受けさせていかねばならないと思うばかりです。
 おかげで私も、四十二年間反対し続けた母を去年の十月十二日、やっと入信させることができました。実に感慨無量です。また去年九月には娘にも御本尊様を御下付戴くことができ、三人の子供たちの法統相続もできました。
 また今年に入って我が地区では、勧誡一世帯と二世帯の折伏成就を地区の皆さんと一緒にさせていただきました。御住職・岩城永学御尊師より適宜いただけた御指導のもと、私たちは安心して成果に結びつけることができました。
 最後に、法界に遍満する仏様の智慧を信じて唱題し、行動を起こすなら不可能なことは絶対にないと思います。これからも立正安国をめざして一層の大折伏をやり切っていきます。
(平成13年1月28日 福島地方部総会より)