令和7年10月16日付

探し求めていた妙法に巡り合えた現在

信仰体験を語り折伏、育成

 妙行寺はアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市近郊にあり、さらにアメリカ中西部十七州を担当している。その担当範囲は、日本の国土のおよそ七倍に相当する。
 妙行寺近郊では現在、八つの地区に分かれて信行に励みつつ寺院外護に努めている。今回はそのなかで、シカゴ市北部の地区担当員を務めるルス・ヘルナンデス・モンソンさんにお話を伺った。
  
●入信の経緯を教えてください。
モンソン
 私は一九九三年二月に御授戒を受けました。
 幼少期の私は学校の成績もよく、幸せな家庭に育ちましたが、暴力や事件が頻発する地域に住んでいたため、日常的に恐怖を感じていました。また、時折両親が金銭面で争うこともあり、悲しい思いをすることもありました。
 家庭はキリスト教徒でしたが、当時の私は無神論的な考え方を持ち、宗教について深く考えることはありませんでした。しかし、精神的に不安定な家庭状況を変える何かが必要だと感じていました。
 青年期に、日蓮正宗の信仰体験談を目にする機会がありました。そこには、困難な人生のなかで「南無妙法蓮華経」の信仰に出合い、真剣な修行と努力によって逆境を乗り越え、真の幸福をつかんだ体験が記されていました。

「人生に必要なもの」はこれだった

 私はその体験に深く感銘を受け、自分でも御題目を唱え始めました。
 そして、シカゴ近郊で御題目を唱える宗教団体を探し、いくつかの仏教寺院を訪ねましたが、日蓮正宗の寺院ではありませんでした。私は自室の壁に向かって唱題を続け、「あの仏法と出合いたい」と強く願い続けました。
 三週間後、同僚から「自分は仏教徒だ」と聞き、すぐに宗派を尋ねたところ「日蓮正宗」との返答がありました。私は喜び、すぐに寺院や会合の場所を紹介してほしいと頼みました。そして翌日曜日、一緒に会合に参加しました。
 そこで初めて勤行を聞き、その速さと大きな声に圧倒されました。しかし、その会場はSGI(創価学会インタナショナル)の会館でした。
一九九二年、SGIのメンバーから、日蓮正宗から破門されたという話を聞かされ、少し混乱しました。が、その後、同僚の自宅で当時、妙行寺の御庄職をされていた河辺正信御尊師が地区の会合を開いてくださり、日蓮正宗とSGIの違いを丁寧に説明してくださいました。
 その翌週末、私は妙行寺を訪れ、「こここそ自分の行くべき場所だ」と確信しました。
 その後、数回通ったのち御授戒を受けました。この時の緊張感と、これが仏道修行の第一歩だという確信は、今も鮮明に覚えています。
●ご自身の信仰体願をもとに、地区法華講員のお世話をする際に心がけていることはありますか。
モンソン
 この仏法に巡り合ってから、困難への向き合い方が大きく変わりました。真剣な唱題によって勇気と精神力を得て、一歩ずつ問題を解決できるようになりました。
 特に、朝夕の勤行の実践と、御書の、
「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり」(御書 七七五n)
という御文は、苦しい時期の支えとなりました。
 また、宗旨建立七百五十年慶祝記念海外信徒総登山大法要に参加した際、自分の信仰と人生を深く見つめ直す機会をいただきました。帰国後、これまで途中で断念していた正看護師の資格取得に挑戦する決意を固め、勤行・唱題を欠かさず続けながら、四年間の必修課程を修了し、無事に資格を取得することができました。
 こうした体験から、地区の講員には座談会や唱題会の折に自らの信仰体験を語り、どのような境遇でも御本尊様の御加護を確信してもらえるように努めています。
 また、折伏活動を通じて、日蓮大聖人様がすべての人の幸福と成仏のために法を弘められた御姿を思い起こし、その教えに基づいて一人でも多くの人に仏法を伝えることが、自分の使命であると強く感じています。世界の苦しみをニュースで目にするたび、その使命感は一層深まります。


●今後の決意をお聞かせください。
モンソン
 忙しい仕事のなかで、寺院参詣や講員への激励にどれだけ時間を工夫できるかが課題ですが、勤行・唱題・折伏は私の信仰の土台、人生の根本です。今後も身体的にも経済的にも精いっぱいの御供養を心がけ、できる限り登山にも参加し続けてまいります。