令和4年2月16日付

行き詰まるたび信心見直し

唱題根本に毎年折伏成就

 大韓民国の東南端にある釜山市は、韓国第二の大都市であり、第一の港湾都市でもある。また、海を隔てて日本の対馬より五十キロメートルほど離れた所に位置する。そこに釜山布教所がある。
 釜山布教所から車で西に一時間ほどの距離にある昌原市に住み、毎年一人以上の折伏を成就してきた昌原区域の金水連(キム・スリョン)さんにお話を伺った。
  
●まず、自己紹介と入信の動機を聞かせてください。

 私は姑と夫、子供三人の家族を世話して暮らしていた主婦でした。
 夫が銀行員だった当時、お金を大きな袋に入れて銀行に持ってくる自営業の人たちに、「大金を稼ぐには自営業しかない」と言われました。そこで夫は、家族の反対をよそに銀行員を辞め、自営業を始めましたが、四年で失敗しました。その後、長らく経済苦となり、そこから抜け出すために力を尽くしましたが、一向によくならなかったのです。
 子供たちはまだ学生で、困窮した生活が続いていた頃、日蓮正宗への入信を勧められました。そして、一九九一(平成三)年十一月、経済苦を打開したくて信心を始めました。

●どういうきっかけで本格的に信心するようになったのですか?

 夫の事業が行き詰まり大きな借金を抱えましたが、信心を始めて八カ月ほど経ったとき、知人がその借金を肩代わりしてくれて、「ゆっくり返済してくれればいいから」と言ってくれました。そんな不思議な初心の功徳を戴いて御本尊様への確信を持てるようになり、本格的に信心修行をするようになりました。
 しかし、二〇〇〇年頃に始めた銭湯が、再び資金不足で立ちゆかなくなり、もう一度経済苦に見舞われました。この時は、夫と一緒に決意し直し、信行に励みました。
 その後、夫は親戚の会社に部長として就職でき、生活は再び安定しましたが、七年目に退職することになりました。
 私は、日蓮大聖人様の、
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなゐさへさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書 九九一n)
という御聖訓を胸に、仏様の功徳は間違いなくあるとの確信を持って夫を慰め励まし、さらに一生懸命に信心に精進しました。
 すると間もなく、周りに助けられて運輸業を始めることになりました。これが夫の適性に合い、現在まで楽しく働けています。その姿を見て、御本尊様の功徳を実感し、感謝しています。

●あなたは入信後、毎年一人以上の折伏を成就されています。この五年間も毎年二名から五名の方を折伏されましたが、どのようにしているのですか?

 総本山第六十七世日顕上人の「一年に一人が一人の折伏を」という御指南こそ、折伏を実践する上での原点と拝し、この御言葉を心肝に染め、何があっても一年に一人以上を折伏しようと誓願を立て、折伏に励んできました。
 私は、二〇〇八年から親戚の経営する旅館に管理人として雇われ、二〇一八年からは、この旅館を買い取って経営しています。客室が三十三もありとても忙しく、外出して折伏するのがたいへんでした。そこで宿泊客の大半が長期滞在であることに気づき、この方々を折伏しようと決心しました。
 まず、お客様に明るく挨拶し、お茶を勧めながら、「何かご不便な点はないでしょうか。あったら何なりとおっしゃってください」と声をかけ続けました。そのうちに、お客様の中には自分の苦しい境遇について話してくれる方もあり、そのような時、私は「御本尊様、あの方を折伏できるようにしてください」と真剣に御祈念申し上げました。
 唱題と折伏は比例すると固く信じ、毎日早朝に起き、朝の勤行に加えて二時間の唱題を続けています。そうしていくことで、御仏智を賜り折伏ができているのだと確信しています。

●これからの覚悟と抱負について話してください。

 私は今まで何度も失敗して、再起してきました。今は御本尊様の功徳で、夫は自分に合った仕事に楽しく励み、長女と次女はそれぞれ立派な配偶者と出会い、幸せに暮らしています。また、息子は消防隊員としてまじめに勤めています。
 私の経営する旅館はコロナ禍にもかかわらず順調です。御本尊様の功徳で諸難を乗り越え、今、家族は皆、信心を根本に幸せに暮らしています。私はいつも感謝の心でいっぱいです。
 御法主日如上人猊下は、
「折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、自らの過去遠々劫からの罪障を消滅して幸せになるための最高の仏道修行であり、そして仏祖三宝尊に対する最高の報恩行であり、また仏様から与えられた尊い使命であります」(大白法 六八九号)
と御指南くださいました。
 今後も、私はこの御指南を身に体し、漆畑海外部長様と指導教師の廬法泰御尊師の御指導のもと、仏祖三宝尊に対し奉り、千万分が一でも御報恩謝徳申し上げるために、一日二時間以上しっかりと唱題して、その功徳と歓喜をもって勇猛果敢に折伏に挺身し、何があっても一年に一人以上の折伏を行じていく覚悟です。