令和3年12月16日付

コロナ禍で三時間の唱題が力の源

家族が賜った難病克服の功徳

 欧州初の日蓮正宗寺院・妙昌寺はスペインの中心地マドリードにある。そこから六百キロメートル以上離れた地中海沿岸部にも数多くの信徒がおり、ガウディやピカソ、ミロなどで有名な芸術の街、カタルー二ャ州の州都バルセロナでも、法華講員が日夜広布に向かって邁進している。
 今回紹介するドローレス・シ工ラ・マルチネスさんは、妙昌寺支部副講頭を務めている。
  
●自己紹介をお願いします。
ドローレス
 現在はバルセロナ在住ですが、生まれはシウダー・レアルという小さな町です。
 一九八一(昭和五十六年に友人のリカルドさんを通じてこの尊い仏法に巡り合いました。リカルドさんは、御本尊様の功徳のすばらしさを五年もの間、諦めずに話して、折伏し続けてくれました。そして私は、一九八六年四月二十四日に御授戒を受けました。
 私は七人兄弟の一番上です。六番目の弟は自閉症で、当時は全く未知の病気だったため、私たち家族はとても苦しんでいました。しかしその苦しみがあったからこそ、私は弟のために御題目を唱えていくと決意できました。弟の病気のお陰で、家族の半分以上が入信でき、一丸となって苦しみを乗り越えてきました。


●信心を通して得た体験を教えてください。
ドローレス
 長年私が戴いてきた功徳を説明することは難しいのですが、まず御授戒を受けた二日後に、主人と出会うことができました。一九九二(平成四)年八月、登山の折に品川区の妙光寺で、海外部長であられた尾林広徳御尊師(常宣院日至贈上人)の導師のもと結婚式を挙げるというすばらしい機会に恵まれました。常宣院様は、私たち夫婦とスペインの信徒を厚くもてなしてくださり、仏前結婚式に不慣れな私たちを、奥様や多くの妙光寺支部法華講の方々が優しく手助けしてくださいました。私たち夫婦にとって、忘れられない大切な思い出です。
 また私自身、当時は、背中の手術を経験したり、慢性的な偏頭痛や不眠症などに悩まされていました。
 近年は至って健康です。気がつかないうちに、それらの苦しみや痛みが消えていきました。
 私の四番目の妹は、最も重度のジストーデという難病を患っていました。絶え間ない痛みがあり、常に頭が右側に動き、ほとんど飲食もできず、横になっているときには殴られたように目が黒くなり、首が鳴る音がして痛々しかったです。彼女は、どのような治療でも快方に向かう様子はありませんでしたが、信心でこの難病を乗り越えると決意して、愚痴も言わず痛みに耐え、御題目を唱え続けました。病にあっても凛とした妹の姿を通して、多くの友人が仏法のすばらしさを感じて入信しました。
 妹は二〇一七年に見事に難病を治癒し、今では元気に過ごしています。十年間苦しい病気に耐え抜くことができたのも、御本尊様の功徳を信じて毎日、何時間も唱題できたからです。
 私は入信十年目にして転職に踏み切り、新しい仕事に出合えました。この仕事は、私にとって幸せの源泉ともいうべきものです。私は中国漢方・東洋医学の学位を取得して、病気に苦しむ方々の手助けをしてきたのです。また、仕事を通じて、多くの方々に大聖人様の仏法をお伝えすることができました。

●登山の体験談を聞かせてください。
ドローレス
 一九八九年に初登山して以来、現在まで二十九回の登山をさせていただきました。登山を通して感じたことは、本宗僧俗が、日蓮大聖人の仏法を正しく護り抜いていらしたお陰で、日蓮正宗が広く世界に弘まり、私たちが信心できるということです。登山のたびに、感謝の気持ちでいっぱいになります。

●現在の信心活動の状況を教えてください。
ドローレス
 以前は私の自宅で毎週、会合を行っていましたが、ハンデミック以来、他の信徒と会うことは難しくなっています。しかし御住職(在間良妙御尊師)の御指導のもと、様々な手段で活動を展開してきました。私はこのような状況になってから毎日三時間、唱題しています。これは私の大きな安らぎとなり、何より、他の方々の幸せを願う力の根源になっています。

●最後に今後の展望と目標を教えてください。
ドローレス
 今後は、現在の活動をもとに、カタルーニャ地方で月に一度のペースで集まり、一緒に御題目を唱えたり、勉強会を設けて新来者を折伏していきたいと思います。コロナ禍で参加人数は少なくとも、継続していきます。
 そして、私の最大の目標は、カタルーニャに日蓮正宗の寺院を建立し、御僧侶をお迎えすることです。